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作曲家一覧
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青木隆多
日本
現在はフリーランスの作・編曲家としてJ-POPからCM、劇伴音楽まで幅広く活動。 また、ベストドレッサー賞発表・授賞式 の式典音楽プロデュース及びアワードオーケストラコンダクターを勤めるなど指揮者としても活動中。
山本正美
1932年12月25日 - 2003年4月12日
日本
日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。
ジョヴァンニ・ピッキ
1643年5月17日
イタリア
ジョヴァンニ・ピッキ(Giovanni Picchi、1571年/1572年 - 1643年5月17日)は、バロック初期に活躍したイタリアの作曲家兼オルガン、鍵盤楽器、リュート奏者。ヴェネツィア楽派の後継者にあたり、当時ちょうど登場しつつあったソナタやカンツォーナなどの器楽曲の様式の発達と多様化に影響を与えた。また同時代のヴェネツィアの作曲家の中で、唯一チェンバロのための舞曲が残されている。ピッキの生涯の前半はほとんど知られていない。生年は1643年5月17日の死亡記録に71歳であったとあるところから逆算して1571年か72年と考えられる。彼について触れている最初の文献史料は、珍しいことに絵画であり、ファブリティオ・カローゾの1600年出版の舞踏教本(「貴婦人の優雅さ」Nobilità di dame)の表紙に、リュート奏者として登場している。1607年2月以前のどこかの時点で、ヴェネツィアのフラーリ教会にオルガン奏者として雇われ、1623年以降没年まで、ヴェネツィアでもっとも特権的であり裕福であった信者会、サンロッコ信者会の教会でもオルガン奏者を務めた。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ
1670年7月18日 - 1747年7月9日
イタリア
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ(Giovanni Battista Bononcini, 1670年7月18日 - 1747年7月9日)は、イタリア・バロック音楽の作曲家、チェリスト。モデナ出身。音楽家の家系の生まれであり、父はヴァイオリニストで作曲家のジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ、弟は作曲家のアントニオ・マリア・ボノンチーニ。小ボノンチーニ(Bononcini the younger)と呼ばれた。
ニコライ・ヴォン・ウィルム
ドイツ
フォン・ウィルムは、若者向けに2手と4手のピアノ曲を多数作曲しました。さらに、ピアノ伴奏付きの曲、神聖で世俗的な合唱曲、さまざまな室内楽作品(弦楽六重奏曲、弦楽四重奏曲、2つのヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノとヴァイオリンのための2つの組曲、ハープとヴァイオリンのためのデュオ)、およびハープのためのコンサート作品。
フェルディナント・ヒラー
1811年10月24日 - 1885年5月12日
ドイツ
フェルディナント・ヒラー(Ferdinand Hiller, 1811年10月24日 - 1885年5月12日)は、ドイツのロマン派音楽の作曲家。
ハビエル・ブストー
1949年11月13日
スペイン
ハビエル・ブストー・サグラード(Javier Busto Sagrado、1949年11月13日 - )は、スペインのバスク州ギプスコア県オンダリビア生まれの作曲家・合唱指揮者。「ハビエル」は「ハヴィエル」、「ブストー」は「ブスト」とも表記される。
ニコラス・ブロドスキー
1905年4月20日 - 1958年12月24日
ウクライナ
コラス・「スラッグ」・ブロツキーは、劇場や映画のためのポピュラーソングの作曲家でした。 ブロツキーはオデッサ(現在のウクライナ)でユダヤ人の家庭に生まれ、ロシア内戦中にブダペストに移住した。
ヤン・ハーデルマン
1952年3月12日
ベルギー
作曲家として吹奏楽や管弦楽の世界で最もよく知られている。 1979年から2002年までメヘレンの王立カリヨン音楽院で和声と作曲を教え、1994年からはアントワープ王立音楽院でバンド指揮(理論)の客員講師を務めている。作曲や教育活動のほか、指揮者や審査員としても活躍している。
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