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作曲家一覧

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ペーター・コルネリウス

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1824年12月24日 - 1874年10月26日

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ドイツ

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ドイツの作曲家。詩人・翻訳家としても活動し、音楽に関する著作も残している。 少年時代からヴァイオリンを弾き、歌曲の作曲をしていたが、初めて作曲を学んだのは1841年になってからだった。1844年から1852年まで、おじで画家のペーター・フォン・コルネリウス(1784年~1867年)のベルリンの家に身を寄せ、その間にアレクサンダー・フォン・フンボルトやグリム兄弟、フリードリヒ・リュッケルト、フェリックス・メンデルスゾーンら、同地の文化人に出逢う。ベルリン時代の終わりに、いくつかの雑誌に音楽評論を寄稿し、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフやパウル・ハイゼ、ハンス・フォン・ビューローらと親交を結んだ。

一噌幸弘

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日本

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東京都練馬区出身。安土桃山時代より続く能楽一噌流笛方、故一噌幸政の長男として9歳の時に「鞍馬天狗」で初舞台。以後、「道成寺」「翁」等数々の大曲を披く。能楽師として能楽古典の第一線で活躍する一方、篠笛、自ら考案した田楽笛、リコーダー、角笛など和洋各種の笛のもつ可能性をひろげるべく演奏・作曲活動を行う。1991年より能楽、自作曲、そしてクラシックの古典まで様々な楽曲をレパートリーに、自身の新しい解釈によるコンサート「ヲヒヤリ」を主宰するなど、能楽堂をはじめとする伝統的建造物や数々のホールにおいて、能楽古典や自作曲、西洋クラシック、ジャズ、即興等を、村治佳織、セシル・テイラーをはじめとする内外の様々な音楽家、交響楽団と競演し、他に類をみない和洋融合の音曲世界を創造している。

マニング・シャーウィン

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1902年1月4日 - 1974年7月26日

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アメリカ

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アメリカの作曲家。シャーウィンはフィラデルフィアで生まれ、コロンビア大学に通い、その後ミュージカルや映画で長いキャリアを積みました。 彼の最も不朽の作品は、1940 年にニュー・フェイセズのために書かれた、エリック・マシュヴィッツ作詞の「バークレー広場でナイチンゲールは歌った」の音楽である。戦時中のもう 1 つの成功作は、1939 年に出版された「フーズ・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト?」で、作詞はエリック・マシュヴィッツである。

フランチェスコ・バルトロメオ・コンティ

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1681年1月20日

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イタリア

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フランチェスコ・バルトロメオ・コンティ(Francesco Bartolomeo Conti, 1681年1月20日または1682年 - 1732年7月)は、イタリアの作曲家、テオルボ奏者、マンドリン奏者。 作品には『シエラ・モレナのドン・キホーテ』『クレタのテセオ』など16のオペラ、『サウルに迫害されたダヴィデ』など9つのオラトリオ、50のカンタータなどがある。またマンドリン奏者としても知られ、最古のマンドリン・ソナタを作曲した。 彼のオペラ『クレオティーデ』はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのオペラ『オルミスダ』に引用され、ヨハン・ゼバスティアン・バッハも彼のカンタータ『我が魂は病み』を筆写し編曲している。

ルイジ・ケルビーニ

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1760年9月14日 - 1842年3月15日

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イタリア

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ルイージ・ケルビーニ(Luigi Cherubini, 1760年9月14日フィレンツェ - 1842年3月15日パリ)は、イタリア出身のフランスの作曲家・音楽教師。 本名はマリア・ルイージ・カルロ・ゼノービオ・サルヴァトーレ・ケルビーニ(Maria Luigi Carlo Zenobio Salvatore Cherubini)。 最初の大きな成功は、ポーランドを舞台にしたオペラ『ロドイスカ』(Lodoïska, 1791年)で、この作品は真に迫ったヒロイズムが称賛された。 1820年代にロッシーニの、華々しい声楽の技巧を凝らした輝かしく熱っぽいオペラがパリに上陸すると、古典的な厳粛さをそなえたケルビーニのオペラは、グルックやスポンティーニらの作品と同様に、時代遅れになった。

アレクサンドル・ヴラディゲロフ

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1933年8月4日 - 1993年6月15日

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イタリア

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アレクサンドル・ウラジゲロフ (1933 ~ 1993 年) は、 1956 年に国立音楽アカデミーを卒業し、ウラジ・シメオノフ教授から指揮を学び、父親からピアノと作曲を学びました。彼はキエフ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者であるナタン・ラーリンに2年間師事しました。1958年以来、プレヴェン、プロブディフ、ルセのフィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務め、1969年からは生涯の終わりまでブルガリア国立放送交響楽団の指揮者を務めた。彼はヨーロッパ、日本、キューバをツアーしました。彼はパンチョ・ウラジゲロフの舞台作品や交響曲作品を複数回演奏し、蓄音機で録音した。 彼は子供向けに 3 つの音楽劇を作曲し、非常に人気となり頻繁に上演されました。彼は交響楽団のための作品、室内楽作品、歌曲を書きました。彼のピアノ作品は、モスクワのワルシャワ (1955 年) とイタリアのボルツァーノ (1957 年) で開催された国際作曲コンクールで賞を受賞しました。

パンチョ・ヴラディゲロフ

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1899年3月13日 - 1978年9月8日

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スイス

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パンチョ・ヴラディゲロフ(Панчо Хараланов Владигеров ; Pancho Haralanov Vladigerov, 1899年3月13日 チューリヒ - 1978年9月8日 ソフィア)はブルガリアの作曲家・音楽教師・ピアニスト。 ブルガリアの作曲界の第2世代に属し、1933年にはブルガリア現代音楽協会(ブルガリア作曲家同盟の前身)にも創立メンバーとして名を連ねた。 本格的に数々のジャンルを手懸けた作曲家の最初の一人としてブルガリア音楽史に名を遺しているだけでなく、国民楽派的な音楽作品を確立したことや、次世代のブルガリア人作曲家の逸材を育てたことでも名高い。 とりわけピアニストのアレクシス・ワイセンベルクの恩師として知られる。

ベン・ムーア

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1960年1月2日

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アメリカ

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アメリカの作曲家で、アートソング、ミュージカルシアター、キャバレー、室内楽、合唱音楽、オペラなどの作品を手がけている。彼の曲はデボラ・フォークト、スーザン・グラハム、ネイサン・ガン、ローレンス・ブラウンリーによってEMI、SonyBMG、Warner Classics、Opus Arteレーベルに録音されている。彼の音楽を演奏した他の歌手には、フレデリカ・フォン・シュターデ、ジェリー・ハドリー、ロバート・ホワイト、オードラ・マクドナルドなどがいます。

マウリシオ・カーゲル

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1931年12月24日 - 2008年9月18日

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アルゼンチン

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アルゼンチンのユダヤ系の作曲家。20代でドイツに渡り、生涯をそこで過ごした。 1931年に、アルゼンチンのブエノスアイレスにて生まれ、作曲は独学で学ぶ。 1957年に、ケルンに移住し、ケルン放送の電子音楽スタジオで制作するなど、前衛音楽を推進。音楽と劇、映画を総合した芸術を提唱、独自の「総合芸術」として自ら企画して出演した。

カーター・パン

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1972年2月21日

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アメリカ

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アメリカの作曲家。彼はイーストマン音楽学校とミシガン大学アナーバー校で作曲とピアノを学び、そこで音楽芸術博士号を取得しました。彼の教師には、サミュエル・アドラー、ウィリアム・オルブライト、ウォーレン・ベンソン、ウィリアム・ボルコム、デヴィッド・リプタク、ジョセフ・シュワントナー、ブライト・シェンが含まれ、ピアノはバリー・スナイダーに師事します。

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