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作曲家一覧
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エンリケ・グラナドス
1867年7月27日 - 1916年3月24日
スペイン
エンリケ・グラナドス・イ・カンピーニャ (グラナードスとも、1867年7月27日 -1916年3月24日)は、スペイン近代音楽の作曲家、ピアニスト。7歳年長のイサーク・アルベニス(1860年 -1909年)とともに、スペイン国民楽派の旗手として並び立つ存在である。
フランチェスコ・パオロ・トスティ
1846年4月9日 - 1916年12月2日
イタリア
サー・フランチェスコ・パオロ・トスティ(Sir Francesco Paolo Tosti, 1846年4月9日 - 1916年12月2日)は、イタリアの作曲家、声楽教師。歌曲の作曲家として知られる。 現アブルッツォ州キエーティ県オルトーナに生まれる。幼くしてヴァイオリンの神童として知られ、1858年、12歳にしてナポリ音楽院に入学、ヴァイオリンと作曲の研鑽を続ける。当時の作曲の師にはサヴェリオ・メルカダンテも含まれる。在学当時には、教官助手も務めていた。1866年、ヴァイオリンでディプロマ取得し、その時期から歌曲を作曲しはじめている。
ジャン=フィリップ・ラモー
1683年9月25日 - 1764年9月12日
フランス
ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683年9月25日 - 1764年9月12日)は、バロック時代のフランスの作曲家・音楽理論家。父親がディジョン大聖堂のオルガニストだったので、幼児期からクラヴサン(チェンバロ)演奏に親しんでいた可能性がある。しかしながらもともとは法学を学んでおり、はじめ音楽と音楽研究は情熱の対象にすぎなかった。
ニコライ・カプースチン
1937年11月22日 - 2020年7月2日
ロシア
1961年にモスクワ音楽院を卒業した後、1972年まで11年間にわたって、ソビエト連邦中をオレーク・ルントストレム(英語版)が率いる国立ジャズ音楽室内管弦楽団の一員として旅行する。、1977年から1984年までロシア国立映画交響楽団 (に参加した。アンサンブルではサクソフォーン奏者のゲオルギー・ガラニャンとアレクセイ・ズーボフ、ギター奏者のアレクセイ・クズネツォフらと共演した。1980年にはチャイコフスキー記念コンサートホールで自作のピアノ協奏曲第2番を演奏している。1984年に映画交響楽団を退いてからは、自作のレコーディングを除いて作曲活動に専念し、多数の作品を生み出し続けた。
エマニュエル・シャブリエ
1841年1月18日 - 1894年9月13日
フランス
アレクシ=エマニュエル・シャブリエ(Alexis-Emmanuel Chabrier, 1841年1月18日 - 1894年9月13日)は、フランスの作曲家。狂詩曲『スペイン』の作曲者としてよく知られる。
マルコム・アーノルド
1921年10月21日 - 2006年9月23日
イングランド
サー・マルコム・ヘンリー・アーノルド(Sir Malcolm Henry Arnold CBE、1921年10月21日 - 2006年9月23日)は、イギリスの作曲家。近代イギリスを代表する作曲家の一人と評され、広く知られる。
岡野貞一
1878年2月16日 - 1941年12月29日
日本
岡野 貞一(おかの ていいち、1878年(明治11年)2月16日 - 1941年(昭和16年)12月29日)は 、日本の作曲家。 鳥取県邑美郡古市村(現在の鳥取市)に、士族 岡野平也の子として生まれ、幼少期に実父を亡くし、貧困の中で育つ。鳥取高等小学校(現在の鳥取市立久松小学校)へ進学。同校には日本の音楽教育家・作曲家田村虎蔵も学年違いで在校していた。 1892年、キリスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。
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