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作曲家一覧
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パブロ・カザルス
1876年12月29日 - 1973年10月22日
スペイン
パブロ・カザルス(Pablo Casals、カタルーニャ語:Pau Casals, 1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ奏者、指揮者、作曲家。カタルーニャ語によるフルネームはパウ・カルラス・サルバドー・カザルス・イ・ダフィリョー(Pau Carles Salvador Casals i Defilló)。 チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる。有名な功績として、それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことが挙げられる。早くから世界的名声を築き、ヨーロッパ、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。指揮者フルトヴェングラーはチェロ奏者としてのカザルスへ次のような賛辞を残している。「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」。カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。
野村誠
1968年10月4日
日本
野村 誠(のむら まこと、1968年10月4日 - )は日本の作曲家、鍵盤ハーモニカ奏者、ピアニスト。音楽活動のみならず、美術や演劇などの幅広い分野で活動。 しょうぎ作曲という、独自の共同作曲法を開発。自身のワークショップ等で多用する。 鍵盤ハーモニカ・オーケストラ「P-ブロッ」のリーダー。NPO法人芸術家と子どもたち理事。コラボシアター・フェスティバルディレクター。
エドワード・グレグソン
1945年7月23日
イギリス
エドワード・グレグソン(Edward Gregson、1945年7月23日 - )は、英国サンダーランド生まれの作曲家。作曲の領域としては、管弦楽曲、吹奏楽、英国式ブラスバンド、金管アンサンブル、合唱曲、管楽器などの楽曲が広く知られる。1945年、イングランドのサンダーランド生まれ。救世軍の教会で音楽と出会い、1963年から1967年にかけて、王立音楽アカデミーで作曲とピアノを学ぶ。作曲をアラン・ブッシュに師事。その後、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの音楽学部教授や、マンチェスター大学名誉教授として教鞭を取り、1996年から2008年には、王立北部音楽大学(英語版)の学長を務めた。
ダリオ・カステッロ
出身国不明(イタリアの作曲家)
ダリオ・カステッロ(Dario Castello、1630年没?)はバロック時代初期にヴェネツィアで活躍したイタリアの作曲家、器楽奏者。ヴェネツィア楽派後期に属し、器楽カンツォーナ形式のソナタ形式への発展に貢献した。 カステッロの作品は、29作品残されている。いずれも独創的で、また演奏には高度な技術を要する。ポリフォニー様式に厳格に従う部分と、劇的なレチタティーヴォが通奏低音を伴って展開する部分が交互に現れるスタイルは、出版譜に記される「現代的様式」("in stil moderno")の文言にふさわしいものとなっている。
アンドレ・カプレ
1878年11月23日 - 1925年4月22日
フランス
アンドレ・カプレ(もしくはキャプレ、1878年11月23日 ル・アーヴル - 1925年4月22日 ヌイイ=シュル=セーヌ)は、フランスの作曲家・指揮者。ドビュッシーの友人で、ドビュッシーの『聖セバスティアンの殉教』と『おもちゃ箱』において作曲者のオーケストレーションを大幅に補筆したことで知られている。また、『月の光』『子供の領分』など、ドビュッシーのピアノ曲をオーケストラ用に編曲した。カプレ自身も作曲家で、その作品は非常に個性的にもかかわらず、ほとんどが見過ごされてきた。1910年から1914年までボストン・オペラ・ハウスの指揮者を務めた。
ギヨーム・ルクー
1870年1月20日 - 1894年1月21日
ベルギー
ギヨーム・ルクー(Guillaume Lekeu, 1870年1月20日 - 1894年1月21日)はベルギー生まれの作曲家。セザール・フランクの最後の弟子として将来を嘱望されたが、24歳で夭折した。感受性豊かで情熱的な筆致が特徴。
青島広志
1955年3月31日
日本
青島 広志(あおしま ひろし、1955年3月31日 - )は、日本の作曲家。東京都出身。文京区立茗台中学校、玉川学園高等部を経て1980年、東京芸術大学および大学院修士課程を首席で修了。主に合唱曲・歌曲・管弦楽曲などを作曲。作曲家の他にもピアニスト・司会者・イラストレーター・少女漫画研究家としても活動するマルチタレント。
八橋検校
1685年7月13日
日本
八橋検校(やつはし けんぎょう、慶長19年(1614年) - 貞享2年6月12日(1685年7月13日))は、近世中期の日本で生きた人物である。江戸時代前期の音楽家であり、検校を務めた。出身は諸説あるが、山田松黒が安永8年(1779年)に記した『箏曲大意抄(そうきょくすすたいいしょう)』より陸奥国磐城(明治期の磐城国、現・福島県いわき市)が定説とされている。他に摂津国(現・大阪府北中部、ほか)とする説もある。名は磐城説で城談(じょうだん)、摂津説で城秀(じょうしゅう)。
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