作曲家検索
作曲家一覧
471-480件 / 1157件中
シャルル・ケクラン
1867年11月27日 - 1950年12月31日
フランス
シャルル・ルイ・ウジェーヌ・ケクラン(1867年11月27日、パリ - 1950年12月31日、コート・ダジュール)はフランスの作曲家、音楽教師。
カール・シュターミッツ
1745年5月7日 - 1801年11月9日
ドイツ
カール・シュターミッツ(Carl Stamitz, 1745年5月7日 - 1801年11月9日)はドイツのチェコ系作曲家。マンハイム楽派第2期の傑出した作曲家である。シュターミッツ一族の作品は、チェコ系のレコード会社から録音が出されるようになり、このためにチェコ語による綴りKarel Stamic(カレル・スタミツ)も定着しつつある。
ジャスティン・ハーウィッツ
1985年1月22日
アメリカ
ジャスティン・ハーウィッツ(Justin Hurwitz、1985年1月22日 - )は、アメリカ合衆国の作曲家、脚本家である。『ラ・ラ・ランド』、『Guy and Madeline on a Park Bench』、『セッション』などデミアン・チャゼル監督映画を作曲したことで知られている。『ラ・ラ・ランド』ではゴールデングローブ賞の作曲賞と主題歌賞(「シティ・オブ・スターズ」)を受賞した。また英国アカデミー賞作曲賞も獲得し、さらにアカデミー賞作曲賞と歌曲賞(「オーディション(ザ・フールズ・フー・ドリーム)」と「シティ・オブ・スターズ」)も受賞した。
フランク・ブリッジ
1879年2月26日 - 1941年1月10日
イギリス
フランク・ブリッジ(Frank Bridge, 1879年2月26日 - 1941年1月10日)は、イギリスの作曲家、弦楽奏者、指揮者。ホルストやヴォーン・ウィリアムズらによる民謡に依拠した作風が20世紀初頭のイギリス楽壇の主流となる中にあって、同時代のヨーロッパ大陸のさまざまな新音楽(フランス印象主義、ロシア象徴主義、ドイツ表現主義)に触発されつつ、独自の前衛音楽を貫いた。このため存命中は、ベンジャミン・ブリテンの恩師としてのみ名を残すも、作曲家としては孤立し、ほとんど顧みられなかった。
金山徹
日本
小学校の金管バンドでトランペット/ユーフォニアムを、中学・高校の吹奏楽部でクラリネットを担当。武蔵野音楽大学卒業後はマルチリード、キーボード奏者として、ミュージカルの公演、コンサート、レコーディングに参加。また作編曲家としても、20th Century(V6)、Kinki Kids、光GENJI、少年隊など、多くのアーチストのコンサートやアルバムに参加している。
三木たかし
1945年1月12日 - 2009年5月11日
日本
三木 たかし(みき たかし、本名:渡邊 匡(わたなべ ただし)、1945年1月12日 - 2009年5月11日)は、日本の作曲家。歌手・女優の黛ジュン(本名: 渡邊順子)は実妹にあたる。渡辺 たかし名義の作品も存在する。
柴田南雄
1916年9月26日 - 1996年2月2日
日本
柴田 南雄(しばた みなお、1916年(大正5年)9月29日 - 1996年(平成8年)2月2日)は日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。1970年代以降は、いわゆる「第三世界」の民族音楽や日本の伝統音楽への傾斜を深める。
宮下秀樹
日本
新潟市生まれ。5歳よりピアノ、小学2年生頃から作曲を始める。新潟市立内野中学校で吹奏楽部に入部。高校1年生の時に新潟市音楽文化会館で行われた市民オペラのエキストラに出演し、オペラの楽しさに目覚める。新潟大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程に声楽科で入学。作曲も同時に習うべく故久住和麿氏より和声、対位法、楽式、管弦楽法を学ぶ。大学2年終了時に作曲科への転科試験に合格。大学3年から本格的に作曲を学ぶ。ふMax/MSPを中心としたコンピュータ音楽を中心に現代作品を作り始める。卒業演奏会用に作曲した初のオーケストラ作品「新時代の幕開け」(演奏:新潟大学管弦楽団)の発表が成功し、コンピュータ音楽とアコースティック音楽の両面で作曲活動を行う。大学卒業後は東京学芸大学大学院に進学。大学院修了後は教員を目指して新潟に帰郷。初の吹奏楽作品となる「ウィンドオーケストラのための《飛翔》」(演奏:日本文理高校)を発表。現在は、担任、部活顧問に加えて研究主任など中学校教諭としての仕事と夜間休日の作曲家業を両立して活動中。
ヨハン・スヴェンセン
1840年9月30日 - 1911年6月14日
ノルウェー
ノルウェーの作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト。スウェーデン統治下ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)に生まれ、生涯のほとんどをデンマークのコペンハーゲンに過ごし、70歳で同地にて他界した。 親友にしてより高名な作曲家のグリーグとは対照的に、スヴェンセンは響きの美しさというよりは、管弦楽法の技巧によって名を揚げた。グリーグがたいてい小編成のために作曲したのに対して、スヴェンセンはもっぱら大編成の、とりわけオーケストラの作曲家であった。最も有名な作品は、ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンスである。存命中は、作曲家や指揮者として非常に人気があり、国から数々の栄誉を授けられた。