作曲家検索
作曲家一覧
501-510件 / 1157件中
ジョゼフ・コズマ
1905年10月22日 - 1969年8月7日
ハンガリー
ジョゼフ・コズマ(Joseph Kosma; ハンガリー語:Kozma József [ˈkozmɒ ˌjoːʒɛf](コズマ・ヨージェフ), 1905年10月22日 ブダペスト - 1969年8月7日 パリまたはラ・ロシュ・ギヨン)は、ハンガリー出身の作曲家。ユダヤ人であったため、1933年にナチス・ドイツを避けてパリに定住。1936年より音楽家としてフランス映画界に進出。1946年にフランスに帰化した。
さだまさし
1952年4月10日
日本
日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授[5][6]。ファンとスタッフの間では「まっさん」の愛称で親しまれている。フォークデュオのグレープでメジャーデビュー。「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになった。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。2019年10月6日時点で、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手でもあり、その回数は4,400回を越えている。トークの軽妙さは大きな魅力とされており、それで自身のコンサートのお客を楽しませ、またテレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。小説家としても活動し、『解夏』『眉山』などの作品を発表している。
橋本國彦
1904年9月14日 - 1949年5月6日
日本
橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者。 東京都本郷生まれ。ヴァイオリンを辻吉之助に師事。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)を経て、1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。安藤幸とヨゼフ・ケーニヒにヴァイオリンを、チャーレス・ラウトロプに指揮法を学ぶ。作曲は信時潔に指導を受けるもほとんど独学であったが、同校研究科で作曲を学ぶ。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。
アルフレート・シュニトケ
1934年11月24日 - 1998年8月3日
ソビエト連邦
ヴォルガ・ドイツ人自治共和国のエンゲリスに生まれる。 ジャーナリストおよび翻訳家の父親は、1926年にヴァイマル共和国からソビエト連邦に移住してきたフランクフルト出身のユダヤ系ドイツ人で、母親はいわゆるヴォルガ・ドイツ人。このためシュニトケは、少年時代からドイツ語を使う家庭環境に育つ(ただし母語はヴォルガ・ドイツ方言であった)。 1946年に父親の赴任地ウィーンで最初の音楽教育を受ける。1948年にモスクワに転居。1961年にモスクワ音楽院を卒業し、翌1962年から1972年まで講師を務めた。その後は主に映画音楽の作曲により糊口をしのぐ。後にカトリックに改宗し、信仰心が作風の変化に影響を与えるが、合唱協奏曲に明らかなように、シュニトケ自身は共産革命を経ても猶ロシアに根付いているロシア正教会の力強い神秘主義に親近感を持っていた。
ジャン・バティスト・アーバン
1825年2月28日 - 1889年4月9日
フランス
ジョゼフ・ジャン=バティスト・ロラン・アルバン(Joseph Jean-Baptiste Laurent Arban, 1825年2月28日 - 1889年4月9日, 英語読みのアーバンで知られる)は、フランスのコルネット奏者、指揮者、教育者。ピストン式コルネットの最初の巨匠である。ヴァイオリンの名手パガニーニに影響を受けてコルネットの技巧的な奏法を開拓し、コルネットが真のソロ楽器たりうることを証明した。
レオ・ブローウェル
1939年3月1日
キューバ
ハバナ出身。彼の祖母は作曲家のエルネスティーナ・レクオーナ・イ・カサド。アメリカ合衆国に留学し、ハートフォード大学、さらにジュリアード音楽学校で学ぶ。ジュリアード音楽学校ではステファン・ウォルペに師事。初期の作品はキューバの民俗音楽の影響を示している。しかし1960年代から1970年代にかけてルイージ・ノーノやヤニス・クセナキスのような現代音楽の作曲家に興味を持ち、「ソノグラマ1」のような作品では不確定要素を取り入れている。この時期の他の作品には「雅歌」(1968年)、「永遠の螺旋」(1971年)、「パラボラ」(1973年)、「狂おしい思い」(1974年)などがある。近年では調性と形式美に傾き、ギター独奏曲の「黒いデカメロン」(1981年)、「鐘のなるキューバの風景」(1987年)、「ソナタ」(1990年、ジュリアン・ブリームに献呈)などでその傾向を示している。 ギタリストとしては1980年代まで活動していたが、右手中指の腱を痛めたのがもとで以降は指揮活動を中心に活動している。
チャールズ・アイヴズ
1874年10月20日 - 1954年5月19日
アメリカ
チャールズ・エドワード・アイヴズ(Charles Edward Ives、1874年10月20日 コネチカット州ダンベリー - 1954年5月19日 ニューヨーク市)は、アメリカ合衆国の作曲家。アメリカ現代音楽のパイオニアとして認知されている。作品は存命中はほとんど無視され、長年演奏されなかった。 現在では、アメリカ的な価値観のもとに創作を行なった独創的な作曲家と評価されており、録音もかなりの数が存在する。作品にはさまざまなアメリカの民俗音楽の要素が含まれている。
ジャン・リヴィエ
1896年7月21日 - 1987年11月6日
フランス
フランスの作曲家。ヴィルモンブル出身。哲学を学んだ後、パリ国立高等音楽・舞踊学校でジャン・ギャロン、ジョルジュ・コサード、モーリス・エマニュエルらについて学び、作曲科の教授として1947年から1966年まで勤めた。作品にはオペラ、バレエ、放送音楽、7つの交響曲、多くの独奏楽器のための協奏曲、室内楽、レクイエム、詩篇、合唱、歌曲があり、全部で100曲以上に及ぶ。
トンマーゾ・ジョルダーニ
1806年2月23日
イタリア
イタリア、ナポリで生まれる。生涯のほとんどをロンドンで暮らし、多くの声楽曲や器楽曲を発表する。オペラ作曲家として以外にも、管弦楽組曲やチェンバロやフォルテピアノのための協奏曲やソナタも人気を博していた。その後、アイルランドにて没する。 歌曲『カーロ・ミオ・ベン』はイギリス時代の作品の一つである。
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト
1814年5月6日 - 1865年10月8日
チェコ
オーストリア帝国(現在のチェコ)生まれのヴァイオリニスト・作曲家。 パガニーニを髣髴させる変奏曲や幻想曲を多く残し、生前は『ヴェニスの謝肉祭による変奏曲』作品18が彼の代名詞となっていた。パガニーニの後継者と目され、ヨーロッパ中を演奏して回ったエルンストは、1862年に神経痛のため引退し、その後も作曲を続けていたが1865年にパガニーニと同じくニースで没した。 現在では、難曲として知られるヴァイオリン独奏曲「フランツ・シューベルトの『魔王』による大奇想曲」作品26、「悲愴協奏曲」作品23などごく一部の作品が演奏されている。