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作曲家一覧
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ファルカシュ・フェレンツ
1905年12月15日 - 2000年10月10日
ハンガリー
ファルカシュ・フェレンツ(Farkas Ferenc, 1905年12月15日 - 2000年10月10日)は、ハンガリーの作曲家。
井澗昌樹
日本
大阪教育大学教養学科芸術専攻音楽コース卒業、同大学大学院芸術文化専攻修了。 作曲を澤田博、北川文雄の両氏に師事。現代音楽、吹奏楽、舞台音楽を中心に作編曲活動を行っている。特に吹奏楽の分野においては 2008 年度全日本吹奏楽コンクール課題曲である「火の断章」をはじめとして多くの作品が出版・録音されている他、客演指揮や講習、各種コンクールの審査員として幅広く携わる。 近作として、陸上自衛隊の委嘱によって作曲された行進曲「桜雲」は、京都で開催された天皇陛下御即位30年記念式典において演奏された。 関西現代音楽交流協会、21世紀の吹奏楽“響宴”、各会員。
ピエトロ・チマーラ
イタリア
ピエトロ・チマーラ(伊語:Pietro Cimara、1887年 - 1967年)は、イタリアの作曲家。ピアニスト。指揮者。ローマのサンタチェリーリア音楽院でオットリーノ・レスピーギに作曲を学び、1916年にローマのコンスタンツィ劇場で指揮者としてデビューを果たす。その後は、イタリア各地の劇場で活躍した。1927年から1958年の約30年間はニューヨークのメトロポリタン劇場で活躍。メトロポリタンでは本番よりも副指揮者を務めることの方が多かった。指揮者としてのメトロポリタンでのデビューは1932年3月、ガエターノ・ドニゼッティのオペラ『ランメルモールのルチア』によってであった。
フランク・ティケリ
1958年1月21日
アメリカ
フランク・ティケリは、アメリカの作曲家。1958年、アメリカ・ルイジアナ州生まれ。現在は南カリフォルニア大学の作曲科助教授として勤務している。オーケストラや吹奏楽曲をはじめ、合唱曲、室内楽などさまざまな分野で個性的な曲を作曲。
ジュール・ドゥメルスマン
1833年1月9日 - 1866年12月1日
フランス
ジュール・アウグスト・ドゥメルスマン(1833年1月9日- 1866年12月1日)はフランスのフルート奏者兼作曲家。ドゥメルスマンは、ベルギー国境近くのフランス、ノール県オンショオットで生まれ、11歳でパリ国立高等音楽院のジャン=ルイ・テュルーに入学。12歳で一等賞を授与されると、すぐさま名人として知れ渡った。しかし、教師の影響を受けたせいか、その頃フランスに導入されたテオバルト・ベームが設計した現代的なタイプのフルートを好まなかったため、教授職には向かないとされた。ドゥメルスマンは、おそらく結核が原因でパリで亡くなったが、わずか33歳という若さで、フルートのために数多くの作品を遺した。
ジャスティン・ハーウィッツ
1985年1月22日
アメリカ
ジャスティン・ハーウィッツ(Justin Hurwitz、1985年1月22日 - )は、アメリカ合衆国の作曲家、脚本家である。『ラ・ラ・ランド』、『Guy and Madeline on a Park Bench』、『セッション』などデミアン・チャゼル監督映画を作曲したことで知られている。『ラ・ラ・ランド』ではゴールデングローブ賞の作曲賞と主題歌賞(「シティ・オブ・スターズ」)を受賞した。また英国アカデミー賞作曲賞も獲得し、さらにアカデミー賞作曲賞と歌曲賞(「オーディション(ザ・フールズ・フー・ドリーム)」と「シティ・オブ・スターズ」)も受賞した。
モーリッツ・モシュコフスキ
1854年8月23日 - 1925年3月4日
ポーランド
モーリツ・モシュコフスキ(Moritz Moszkowski, 1854年8月23日 ヴロツワフ - 1925年3月4日 パリ)はポーランド出身のユダヤ系ピアニスト、作曲家、指揮者。ポーランド語名マウリツィ・モシュコフスキ(Maurycy Moszkowski)で、モーリツとはそのドイツ語名。ポーランドの血は父方から受け継いでいるだけであった。今日ではあまり有名とはいえないが、生前は高い尊敬と人気を集めたピアニストであった。
吉俣良
1959年9月6日
日本
吉俣 良(よしまた りょう、1959年9月6日 - )は、日本の作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。鹿児島県鹿児島市甲突町出身。横浜市立大学商学部卒業。血液型はO型。「Ryo」名義で作曲・編曲を行う事がある。
アルフレッド・デザンクロ
1912年2月7日 - 1971年3月3日
フランス
アルフレッド・デザンクロ(Alfred Desenclos, 1912年2月7日 - 1971年3月3日)は、フランスの作曲家。パ=ド=カレー県のポルテル(fr:Le Portel)に生まれる。1929年にルーベ音楽院に入学後、1932年にパリ音楽院へ進学する。アンリ・ビュッセルらに師事して作曲を学ぶ。1942年にローマ賞大賞を受賞。1943年から1950年までルーベ音楽院院長を務めたが、作曲に専念するため辞職。1956年に《交響曲》によりパリ市音楽大賞(Grand prix musical de la ville de Paris)を受賞。1967年にパリ音楽院の和声科教授に就任した。1971年パリにて逝去。
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