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作曲家一覧
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ローラン・ディアンス
1955年10月19日 - 2016年10月29日
チュニジア
ローラン・ディアンス(Roland Dyens、1955年10月19日 - 2016年10月29日)は、フランスのクラシックギター奏者、作曲家、編曲家。 作風はジャズとフォークミュージックに近く、奏者の人気を集めている。
西邑由記子
日本
京都生まれ。1990年に東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業した後、アルフレッド・リードの勧めで1991年からマイアミ大学大学院作曲科で、さらに1993年からマンハッタン音楽院修士課程作曲科で学んだ。 作曲を尾高惇忠、野田暉行、島岡譲、アルフレッド・リード、リチャード・ダニエルプア(en:Richard Danielpour)、ジャンパオロ・ブラカリ(Giampaolo Bracali)に、ピアノをアイヴァン・デイヴィス(en:Ivan Davis)、サラ・デイヴィス・ビュークナー(en:Sara Davis Buechner)に師事。 管弦楽曲や室内楽曲、器楽曲など数多くの作品を発表しており、尺八や中国古箏、二胡のための楽曲に至るまで、ジャンルを超えた活動を続けている。また、ピアニストとして編曲も数多く手がけている。 吹奏楽曲では「ブライト・ムーン」が1994年に、「スパークルベリー」が2007年に、それぞれコルチャーノ国際吹奏楽作曲コンクールで入賞している。
エイミー・ビーチ
1867年9月5日 - 1944年12月27日
アメリカ
創造的な作曲家として成功した最初のアメリカ人女性である。生前は当時の習慣に従ってビーチ夫人(Mrs. H.H.A. Beach) と名乗って音楽活動に携わった。
ヴァレンティン・シルヴェストロフ
1937年9月30日
ウクライナ
ヴァレンティン・ヴァシリョヴィチ・シルヴェストロフ(ウクライナ語: Валенти́н Васи́льович Сильве́стров, ラテン文字転写: Valentin Vasylyovych Silvestrov, 1937年9月30日 キエフ - )は、ウクライナの現代音楽の作曲家。 1937年、キエフ生まれ。ドイツ語系の技師と教師の家庭に生まれる。両親は息子に様々な種類の教育の機会を与えたが、音楽以外に魅かれなかった。音楽学校を卒業し、15歳から作曲を試み始めるものの、キエフ建築技術大学 (The Kyiv National University of Construction and Architecture) に入学する。3年後の1958年に同校を退学してキエフ音楽院に入学し、作曲をボリス・リャトシンスキーのクラスで学んだ。1964年に同音楽院を卒業。1960年代に『キエフ・アバンギャルド』に加わり(参加者にはレオニード・グラボフスキー、ヴィタリー・グズャツキー、ヴラディミール・グバ 、イーゴリ・ブラジュコフらがいた、反体制文化の活動をしていた。
ロベール・プラネル
1908年1月2日 - 1994年5月25日
フランス
フランスの作曲家。モンテリマール出身。父親のアルフォンス・プラネル(1869年-1947年)は作曲家でモンテリマール音楽院の創設者であった。1914年から1918年までパリ国立オペラで最初のヴァイオリンのレッスンを受けた。1922年から1933年までパリ国立高等音楽・舞踊学校でヴァイオリンのほか、和声をジャン・ギャロンに、対位法をジョルジュ・コサードに、作曲をアンリ・ビュッセルとポール・ヴィダルについて学んだ。1933年にローマ賞を受賞し、1934年から1936年までイタリアに留学した。1945年からパリ市の音楽教育の総括監察官として活躍し、パリ地方音楽院を創設した。
エトムント・アンゲラー
1740年5月24日 - 1794年8月7日
オーストリア
エトムント・アンゲラーは、有名な『おもちゃの交響曲』を作曲した音楽家として知られるオーストリアの神父。日本語ではエドムント・アンゲラーとも表記される。エトムント・アンゲラーは1740年、オーストリア大公国のチロル地方の田舎町ザンクト・ヨハン(St. Johann)に生まれる。父は小学校の教師で地元の合唱団の指導者でもあったシュテファン・アンゲラー。父から音楽の手ほどきを受け、さらにインスブルック郊外の町ハルの児童合唱団に入る。
ヘルマン・アンブロジウス
1897年7月25日 - 1983年10月25日
ドイツ
ヘルマン・アンブロジウス(Hermann Ambrosius, 1897年7月25日 - 1983年10月25日)は、ドイツの作曲家。ハンブルク出身。マクデブルク、ベルリン、ケムニッツ、ライプツィヒで音楽教育を受け、ベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)でハンス・プフィッツナーに師事。1925年から1942年までライプツィヒ放送局のエンジニアと音楽部門の責任者を務め、そのかたわら1926年からライプツィヒ音楽院で教職に就いた。第二次世界大戦後はフリーランスの音楽家として活動し、主にマンドリン音楽の分野で評価された。
バルバラ・ストロッツィ
1619年8月6日 - 1677年11月11日
イタリア
バルバラ・ストロッツィ(Barbara Strozzi, 1619年8月6日受洗 ヴェネツィア - 1677年11月11日 パドヴァ)はイタリア初期バロック音楽の作曲家・声楽家。台本作家ジュリオ・ストロッツィの養子であったが、おそらくその私生児であった可能性が高い。父ジュリオの音楽討論サークルに歌手や会員として参加し、またフランチェスコ・カヴァッリに作曲を師事。父親の死後に作曲と作品の出版を精力的に続け、出版譜の献辞から、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世や、リューネブルク公国后妃ゾフィーが初期のパトロンであったと察せられる。
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