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作曲家一覧
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フランシスコ・ゲレーロ
1528年10月4日 - 1599年11月8日
スペイン帝国
フランシスコ・ゲレーロ(Francisco Guerrero, 1528年10月4日? ? 1599年11月8日)はルネサンス時代に活躍した、スペインの作曲家。セビリャに生まれ、没した。
カイヤ・サーリアホ
1952年10月14日 - 2023年6月2日
フィンランド
カイヤ・サーリアホ(Kaija Anneli Saariaho, 1952年10月14日 - 2023年6月2日)は、フィンランドの作曲家。ヘルシンキ出身。 地元のシベリウス音楽院を卒業後、フライブルクにてブライアン・ファーニホウとクラウス・フーバーに師事し、パリのIRCAMでも経験を積んだ。1989年にイタリア賞を獲得、クロノス・カルテットのための作品によってリンカーン・センターからアルス・エレクトロニカ賞を、またアンサンブル・アンテルコンタンポランのための作品によってIRCAMより授賞されている。2000年にはソプラノと電子楽器のための《Lonh 》によって北欧協議会音楽賞を授与された。2001年にはロルフ・ショック賞音楽部門にて受賞している。余り言及がされないが、北欧出身でクラーニヒシュタイナー音楽賞の作曲部門で受賞した女性は彼女が最初である。音楽芸術誌上で間宮芳生が絶賛し、日本の聴衆にもかなり親しまれた存在である。2014年度の武満徹作曲賞の審査員を務めた。
ネストル・マルコーニ
1942年6月15日
アルゼンチン
1942年6月15日、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ生まれ。11歳よりピアノと作曲の勉強を始める。音楽理論をアルトゥーロ・シュナイダー(Arturo Schneider)に、また和声と対位法をルイス・ミリシ(Luis Mirisi)に師事。父親に買ってもらったバンドネオンに魅せられる。現在、バンドネオンのヴィルトゥオーゾ、最高のテクニシャンと言われるマルコーニだが、バンドネオン奏法はピアノで学んだ事をバンドネオンに応用させる、という形で独学で習得したのである。と同時にその当時のラウレンス、トロイロ、ピアソラ他の楽団マスター達の演奏に触れ、多大な影響を受ける。16歳でプロデビュー(RosarioのラジオLT3スタジオ)。20歳より家族とともにブエノスアイレスに拠点を移す。ホセ・バッソのオーケストラのメンバーとなり、中南米ツアーやカーニョカトルセでの演奏活動をする。ピリオドタンゴ、モダンタンゴ、コンテンポラリータンゴの3つを兼ね揃えた心技体の全てで非の打ち所のないプレイを披露している人物の一人である。現在はセステートの活動が目立つオラシオ・ロモなどと並ぶ第一級の名人である。
万城目正
1905年1月31日 - 1968年4月25日
日本
北海道十勝支庁中川郡幕別村(現在の幕別町)出身。 旧制中学校を卒業後に上京し、武蔵野音楽学校で学ぶ。その後一時帰道するが再び上京して松竹楽団に入社し、多くの劇伴を作曲・指揮を担当。1938年の映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」など多くの映画音楽を手がけ、そのほとんどの作品はコロムビアレコードからレコードとして発売され、専属作曲家として長年に渡り活動した。 戦後は映画『そよかぜ』の音楽を担当し、主題歌の「リンゴの唄」は並木路子が歌い大ヒットした。 また歌謡曲では高峰三枝子、美空ひばり、島倉千代子の歌を多く作曲し、戦前から多くの歌手や俳優の歌唱指導を担当した経験を活かして1957年には松竹大船撮影所の近くに「万城目正歌謡音楽院」を開校した。 人気作曲家として多忙な日々を送る一方で、年に2回ほど家族旅行に出かけ、普段は酒や野球を楽しんだという。 1968年4月25日、死去。63歳没 。 墓所は宮城県仙台市の龍雲院にある。
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世
1855年4月9日 - 1907年4月26日
オーストリア
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世は、オーストリア出身のヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。ジョルジェ・エネスク、フリッツ・クライスラー、ルドルフ・ディットリヒらを指導したことでも知られる。
フェルディナン・エロルド
1791年1月28日 - 1833年1月19日
フランス
ルイ・ジョゼフ・フェルディナン・エロルドは19世紀フランスのオペラ作曲家。ピアノ曲や管弦楽曲も数多く手がけた。今日では、オペラ《ザンパ》とその序曲や、バレエ音楽《ラ・フィユ・マル・ガルデ》が最も有名である。エロルド家は代々アルザスの音楽家であり、元来、姓の“e”にはアクサンテギュが付かなかった。
フランソワ=アドリアン・ボイエルデュー
1775年12月16日 - 1834年10月8日
フランス
フランソワ=アドリアン・ボワエルデューはフランスのオペラ作曲家・ピアニスト。19世紀前半のフランス・オペラ界における重鎮作曲家の一人として活動した。優雅さと軽快さを持ち合わせた作風から、かつては「フランスのモーツァルト」と呼ばれた。ただし、実際はベートーヴェンと同世代である。
谷川賢作
1960年1月29日
日本
東京都出身の作曲家・ピアニストである。 祖父は哲学者で法政大学総長の谷川徹三、父は詩人の谷川俊太郎、母は元新劇女優の大久保知子。娘はスタイリストの谷川夢佳。 玉川学園高等部卒業後、作曲家佐藤允彦に師事し、1986年に映画『鹿鳴館』で作曲家デビューした。 1996年に父、谷川俊太郎の現代詩を歌うグループ「DiVa」を結成。父とともに全国各地で音楽と朗読のコンサートを行っている。 ピアノソロの活動(ピアノソロシリーズ)。 ジャズをベースにポップス、童謡・ラテンまでジャンルにとらわれず、古今東西の曲を演奏するバンドパリャーソ。パリャーソとはポルトガル語でピエロ、道化師の意味。2001年12月の結成以来、全国各地でのライブ、コンサートはすでに200本以上を数える。続木力(ハーモニカ)、谷川賢作(ピアノ)。 1986年の「鹿鳴館」以降、「かあちゃん」を除くすべての市川崑監督映画の音楽を手がけた。
廣瀬量平
1930年7月17日 - 2008年11月24日
日本
北海道函館市で、日魯漁業(現・マルハニチロ)に勤める父・理喜男と、レストラン五島軒店主の若山徳次郎の長女・柳の長男として生まれる。1943年(昭和18年)市立函館中学校(現市立函館高等学校)に入学するが、翌年父の転勤に伴い樺太豊原市へ引越し、樺太庁立豊原中学校に転入。1945年(昭和20年)3月函館に戻る。終戦後、北海道立札幌第一高等学校(現北海道札幌南高等学校)へ転校。1948年(昭和23年)、北海道大学予科文類に入学、この頃から作曲を始める。教育学部へ進み、1953年(昭和28年)に卒業後、上京。1955年(昭和30年)に東京藝術大学作曲科に入学。1961年(昭和36年)に同専攻科を修了。在学中、池内友次郎、島岡譲、矢代秋雄らに師事。1977年(昭和52年)から1996年(平成8年)まで京都市立芸術大学音楽学部教授を務め、その後同大学音楽研究科長、音楽学部長を歴任。
バルトロメオ・デ・セルマ・イ・サラベルデ
スペイン
バルトロメオ・デ・セルマ・イ・サラベルデは、スペインの作曲家、ファゴット奏者。 クエンカ出身。宮廷音楽家だった父から音楽訓練を受けた後、聖アウグスチノ修道会に入った。その後中央ヨーロッパを旅し、1628年から1630年までインスブルックのオーストリア大公レオポルト5世の宮廷でファゴット奏者として働いた。その後、オーストリアやポーランド各地の宮廷に仕え、1638年にヴェネツィアで『カンツォーナ、ファンタジア、コッレンテ第1集』を出版した。その他に声楽曲の手稿譜が残存している。
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