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作曲家一覧
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ジャン・リヴィエ
1896年7月21日 - 1987年11月6日
フランス
フランスの作曲家。ヴィルモンブル出身。哲学を学んだ後、パリ国立高等音楽・舞踊学校でジャン・ギャロン、ジョルジュ・コサード、モーリス・エマニュエルらについて学び、作曲科の教授として1947年から1966年まで勤めた。作品にはオペラ、バレエ、放送音楽、7つの交響曲、多くの独奏楽器のための協奏曲、室内楽、レクイエム、詩篇、合唱、歌曲があり、全部で100曲以上に及ぶ。
横山幸雄
1971年2月19日
日本
横山 幸雄(よこやま ゆきお、1971年2月19日 - )は、日本のクラシック音楽のピアニスト、作曲家。 ピアノを伊達純、アンリエット・ピュイグ=ロジェに[1]、作曲とソルフェージュを永冨正之に学ぶ[2]。1987年に東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校在学中にパリ国立高等音楽院にフランス政府給費留学生として留学。ジャック・ルヴィエ、ヴラド・ペルルミュテール、パスカル・ドヴァイヨンに師事。1990年にパリ国立高等音楽院卒業。2003年から2017年3月13日まで上野学園大学教授。
メラニー・ボニス
1858年1月21日 - 1937年3月18日
フランス
フランスの女性作曲家。メル・ボニス(Mel Bonis)名義で盛んな創作・出版活動を繰り広げるが、近年まで作曲家としてはほぼ忘れ去られていた。鍵盤楽曲と室内楽曲を中心に再評価が進み、声楽曲(宗教音楽)も再発掘されるようになった。美しく印象的な旋律が特徴的な、調的な作風を採っている。
カール・フリードリヒ・アーベル
1723年12月22日 - 1787年6月20日
ドイツ
カール・フリードリヒ・アーベル(Carl Friedrich Abel, 1723年12月22日 - 1787年6月20日)は、ドイツ出身の作曲家。ヴィオラ・ダ・ガンバの名手であり、貴重な作品を残した。アンハルト=ケーテン公国(ドイツ語版)のケーテンに生まれる。父親のクリスティアン・フェルディナンド・アーベルは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが楽長を務めていた時のケーテン宮廷楽団の首席ヴィオラ・ダ・ガンバおよびチェロ奏者だった。ライプツィヒのギムナジウム Thomasschule で学んだと言われる。
森田公一
1940年2月25日
日本
森田 公一(もりた こういち、1940年2月25日 - )は、作曲家、歌手。北海道留萌市出身。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠、編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。北海道留萌高校を卒業後、会社勤めをするが一年で退社。日本大学芸術学部に入学、作曲を学んだ。1965年、コーラスグループ原トシハルとB&B7に参加。ピアノおよび作・編曲を担当。
白川毅夫
日本
1964年、東京練馬区に生まれる。隣に住む幼なじみの女の子の影響を受け、5歳よりピアノを始める。高校進学の際、クラリネットの存在を知り、その音色に魅せられて始める。音大を目指して夢中で取り組んだ結果、無事に桐朋学園大学音楽学部に入学し、横井氏、及び故北爪利世氏に師事する。 卒業後、師匠に紹介されたケルン放送響のH.D.クラウス氏の音色に衝撃を受け、教えをいただきたい一心で渡独し、北西ドイツ音楽アカデミー・デトモルトに入学する。
ニコライ・チェレプニン
1873年5月3日 - 1945年6月27日
ロシア
サンクトペテルブルク出身。法律家を志したが断念し、サンクトペテルブルク音楽院にてニコライ・リムスキー=コルサコフに師事。その後、同音楽院の指揮科の教授に就任し、自らも帝室マリインスキー劇場の指揮台に立った。1909年から1914年にかけてセルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団に指揮者として参加し、最初のパリ公演でも指揮者を務めている。1918年にロシア革命を避けてグルジアに渡り、トビリシ音楽院の院長に就任。だが、赤軍のグルジア侵攻に伴い1921年にイスタンブール経由でパリに亡命し、フランスで余生を送った。1945年にパリで死去し、郊外のサント=ジュヌヴィエーヴ=デ=ボワのサント=ジュヌヴィエーヴ=デ=ボワ・ロシア人墓地(フランス語版)に息子のアレクサンドルと共に埋葬されている。フランス印象主義音楽の影響を受けた最初のロシア人作曲家と言われており、古典的で明晰な構成と、軽妙洒脱な響きを好む傾向が認められる。ロシア人作曲家には珍しく、息の長い旋律を持続させ、深刻な劇的表現を発展させるということは不得手であったらしい。
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世
1855年4月9日 - 1907年4月26日
オーストリア
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世は、オーストリア出身のヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。ジョルジェ・エネスク、フリッツ・クライスラー、ルドルフ・ディットリヒらを指導したことでも知られる。
谷川賢作
1960年1月29日
日本
東京都出身の作曲家・ピアニストである。 祖父は哲学者で法政大学総長の谷川徹三、父は詩人の谷川俊太郎、母は元新劇女優の大久保知子。娘はスタイリストの谷川夢佳。 玉川学園高等部卒業後、作曲家佐藤允彦に師事し、1986年に映画『鹿鳴館』で作曲家デビューした。 1996年に父、谷川俊太郎の現代詩を歌うグループ「DiVa」を結成。父とともに全国各地で音楽と朗読のコンサートを行っている。 ピアノソロの活動(ピアノソロシリーズ)。 ジャズをベースにポップス、童謡・ラテンまでジャンルにとらわれず、古今東西の曲を演奏するバンドパリャーソ。パリャーソとはポルトガル語でピエロ、道化師の意味。2001年12月の結成以来、全国各地でのライブ、コンサートはすでに200本以上を数える。続木力(ハーモニカ)、谷川賢作(ピアノ)。 1986年の「鹿鳴館」以降、「かあちゃん」を除くすべての市川崑監督映画の音楽を手がけた。
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