作曲家検索
作曲家一覧
801-810件 / 1157件中
オルガ・ノイヴィルト
1968年8月4日
オーストリア
コネッソンは、1989年から6年間、ブローニュ ビヤンクール国立音楽院でピアノ、音楽理論、音楽史、合唱指揮を修め、マルセル・ランドスキに作曲を学んだ。パリ国立音楽院ではドミニク・ルイに管弦楽指揮を、またアラン・ルヴィエに管弦楽法を学んだ。 2001年から2003年まで、ロワール国立デ・ペイ・ドゥ・ラ・ロワール管弦楽団のレジデント(専属作曲家)として、合唱付き交響曲「Liturgies de lombre」と交響詩「Lappel au feu」を作曲した。その後、ロイヤル スコティッシュ 管弦楽団、ペイ・ド・ベアルン・ポー管弦楽団のレジデントを経て、2016年から2018年まではオランダ・フィルハーモニー管弦楽団および国立リヨン管弦楽団のレジデントを、2019年から2021年までは国立イル・ド・フランス管弦楽団のレジデントを務めた。1997年からオーベルヴィリエ・ラ・クルヌーヴ音楽院で管弦楽法の教授を務めている。
マルコ・ウッチェリーニ
1680年12月10日
イタリア
マルコ・ウッチェリーニ(Marco Uccellini)はイタリア初期バロック音楽の作曲家・ヴァイオリニスト。生涯についてはほとんど分かっていない。1603年から1610年の間にフォルリンポポリで生まれたとされる。アシス神学校に学び、1641年から1662年までモデナのエステ家の宮廷楽長を務め、1647年から1665年までモデナ大聖堂の教会楽長も兼任。その後は没年までパルマ大公ファルネーゼ家の宮廷礼拝堂の楽長を務めた。1680年に逝去。ウッチェリーニはヴァイオリニストとして、スコルダトゥーラや弓の技巧の開発に寄与した。ウッチェリーニは主に器楽曲の作曲家であり、次のような作品を遺している。シンフォニア《大戦争》 Sinfonia "La Gran Battaglia"、シンフォニア《いとも甘美なる女(ひと)》 Sinfonia "La Suavissiva"、いくつかのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ、シンフォニアとクーラント 作品2 Sonate, sinfonie et correnti, libro II (1639年)等。
ニコラウス・A・フーバー
1939年12月15日
ドイツ
フーバーはパッサウで生まれました。 1958年から1962 年までミュンヘン音楽大学で音楽教育を学び、その後フランツ・クサーバー・レーナーとギュンター・ビアラスに作曲を学びました。 彼はヨーゼフ・アントン・リードル、カールハインツ・シュトックハウゼン、そしてとりわけルイジ・ノノのもとでさらに教育を続けました。 1974年から2003年に退職するまで、フーバーはエッセンのフォルクヴァンク大学で作曲の教授を務めました。 リードルとシュネーベルは、フーバーの音声と言語の実験にインスピレーションを与えました。リードルは特にフーバーの急進的な傾向を奨励した。 彼の音楽素材の扱いはシュトックハウゼンとの接触によって最も強く形成されたが、ノノは彼に鋭い歴史的および政治的(マルクス主義)意識を与え、特に 1969年頃から始まる第2作曲段階で顕著であった。
ルー・ハリソン
1917年5月14日 - 2003年2月2日
アメリカ
アメリカの現代音楽の作曲家。オレゴン州ポートランド出身。 世界中の民俗音楽を参照して出来上がる、一種のワールドミュージックに近い性質を持った作曲活動を行った。十二音技法で作曲したチェロとハープの為の組曲も佳品ではあるが、後にこの技法への敵意は凄まじいものとなった。『太平洋のロンド』ではフィナーレに十二音技法を配し、この技法が世界の調和を破るものとして用いられる。ジョン・ケージとも共同作曲をするほど仲が良かったものの、ハリソンの楽天的な性格がケージの厭世的な性格と合わなくなり、最終的には決裂する。 ハリソンが晩年まで情熱を傾けた物が音律である。世界の様々な音律に詳しかった彼は、世界の楽器を調律しなおす創作へ徐々に傾斜してゆく。最も有名なのはジャワ・ガムランだが、韓国の伝統楽器も調律しなおして作曲しており、芸風の幅は広い。舞台上のアップライトピアノを、自ら調律バーを持って聴衆の前で様々に違った調律の音階を聞かせるなど、聴衆の耳の覚醒すらも狙っていた。
井上武士
1894年8月6日 - 1974年11月8日
日本
井上 武士(いのうえ たけし、1894年(明治27年)8月6日 - 1974年(昭和49年)11月8日)は、日本の作曲家。東京音楽大学教授。群馬県勢多郡芳賀村(現在の前橋市)出身。代表作は「チューリップ」「海」。作曲数は約500曲[1]とも200曲以上[2]ともされ、日本音楽史上に残る数々の唱歌・童謡の作品を遺した。上記2曲は日本の歌百選に選ばれている。
木下正道
日本
木下 正道(きのした まさみち、1969年 - )は、福井県大野市生まれの作曲家、ミュージシャン。 中学、高校時代はハードロックやヘヴィメタルバンドで活動。作曲は独学で学ぶ。東京学芸大学で音楽を学ぶ傍ら、フリージャズやアメリカ実験音楽を範とする集団即興も試みる。その後、お笑いバンドへ転向するなど、独自の多彩な活動を展開。
波立裕矢
1995年8月17日
日本
1995年8月17日茨城県生まれ、千葉県育ち。2018年愛知県立芸術大学卒業、21年東京藝術大学大学院修士課程作曲専攻修了。 第35回現音作曲新人賞受賞、第89回日本音楽コンクール作曲部門第1位。これまでに作曲を鈴木純明、小崎光洋、山本裕之、久留智之に師事。作曲の会「たんぽぽ」共同代表。
山田悠人
日本
1989年福岡県北九州市出身。山口大学教育学部、尚美ミュージックカレッジ専門学校アレンジ・作曲学科卒業。作曲を池上敏、蒲池愛の各氏に師事。幼少時より音楽に触れ、高校吹奏楽部ではクラリネットを、大学吹奏楽部ではフルートを担当。大学在学中より作曲、編曲を始める。現在は吹奏楽や室内楽の作編曲家として活動する他、楽譜浄書家、レコーディング・エンジニアとしても活動している。また、今を生きる作編曲家の視点を活かした演奏会を企画する等、精力的に活動している。2016年8月にYMDミュージック合同会社を設立、CEOに就任。作曲家集団”音信”主宰。日本音楽著作権協会(JASRAC)信託者。
フランツ・ラハナー
1803年4月2日 - 1890年1月20日
バイエルン王国(ドイツ)
フランツ・パウル・ラハナー(Franz Paul Lachner, 1803年4月2日、ライン・アム・レヒ - 1890年1月20日、ミュンヘン)は、ドイツの指揮者、作曲家。フランツ・シューベルトの親友、ルイーゼ・アドルファ・ル・ボーの畏友、またエンゲルベルト・フンパーディンクの師として知られる。
ジョン・サーサス
John Psathas, (1966年生まれ)は、ニュージーランド出身のギリシャ人作曲家。 イヴリン・グレニー、マイケル・フーストゥーン、マイケル・ブレッカー、ジョシュア・レッドマン、ニュー・ジュリアード・アンサンブルなど、著名な音楽家のレパートリーに作品があり、ニュージーランドで最も演奏される機会の多い作曲家の一人である。国際的な知名度を確立し、ニュージーランド国内外の組織から定期的に委嘱を受けている。
PRおすすめのコンサート
オペラ「愛の妙薬」
2025/05/18
14:00
観たらわかる!綾瀬のオペラは面白い!
第21回アイメイトチャリティーコンサート
2025/05/18
13:30
アイメイトチャリティーコンサート