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作曲家一覧

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シリル・スコット

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1879年9月27日 - 1970年12月31日

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イングランド

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イングランド北部はマージーサイドのオクストン出身。父ヘンリー・スコットは船主で古代ギリシャ研究家であった。幼少期から楽才を発揮し、12歳でフランクフルトホッホ音楽院ピアノ科に入学し、21歳で最初の交響曲を完成させた。1909年に自作のピアノ曲を6曲ウェルテ・ミニョン社のピアノロールに録音している。 亡くなる3週間前まで作曲活動を続け、91歳で他界した。亡くなる頃には、スコットは過小評価されるようになっていた。再評価が始まったのはつい近年のことである。

ニコラ・ド・グリニー

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1672年9月4日 - 1703年11月30日

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フランス

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フランス・バロック音楽の作曲家、オルガニスト。音楽家一家に生まれニコラ・ルベーグに作曲を学んだ後、パリ近郊のサン=ドニ教会に1693年より奉職。1696年にランスに戻り、同地のノートルダム大聖堂のオルガニストを没年まで務めた。唯一の現存作品が、1699年のオルガン曲集 第1巻Premier livre d’orgue 。作品は、フランス・バロックのオルガン音楽の金字塔に位置している。

デートリッヒ・ブクステフーデ

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1707年5月9日

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デンマーク

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17世紀の北ドイツおよびバルト海沿岸地域、プロイセンを代表する作曲家・オルガニストである。声楽作品においては、バロック期ドイツの教会カンタータの形成に貢献する一方、オルガン音楽においては、ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクに端を発する北ドイツ・オルガン楽派の最大の巨匠であり、その即興的・主情的な作風はスティルス・ファンタスティクス(ドイツ語版、英語版)(幻想様式)の典型とされている。

アウレリオ・ボネッリ

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イタリア

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イタリアの作曲家、オルガン奏者、画家。画家アゴスティーノ・カラッチの弟子であったこと以外はほとんど何も知られていない。1601年にアドリアーノ・バンキエーリがイモラに移住した後、ボネッリはボスコのサン・ミケーレでオルガニストとしての職についた。 1601年にアドリアーノ・バンキエーリがイモラに移住した後、ボネッリはボスコのサン・ミケーレでオルガニストとしての職についた。

ジャン=バティスト・バリエール

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1707年5月2日 - 1747年6月6日

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フランス

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バリエールは最初はヴィオラ・ダ・ガンバを学んでおり、ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ集も出版している。当時はチェロがフランスで普及し、ヴィオラ・ダ・ガンバに取って代わりつつあった時代であり(それはイタリアでは40年ほど前にすでに起こったことであった)、そのため彼はチェロの演奏を学び、やがて当時最も知られたチェロの名手の一人となった。

小林健太郎

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1981年3月28日

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日本

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高校時代に見た映画の音楽に感銘を受けホルン奏者を志し、2000年、国立音楽大学に入学。ホルンを故一色隆雄、大野良雄、井手詩朗の各氏に師事する。 ホルンを専攻する傍ら、映画音楽とその作曲に関して興味を深め、武蔵野美術大学の映像専攻の学生からの依頼により音楽を提供する活動を開始。同時に映像音楽に関わる知識や技術・作曲を丸山和範氏に師事する。 またこの頃から大編成を中心としたホルンアンサンブルの編曲も手掛けるようになる。2004年同大学を卒業。卒業後は演奏活動と共にホルン専攻だった事を最大の武器にホルンに特化した作・編曲家としても活動するようになり、アレキサンダーホルンアンサンブルジャパン、東京ホルンクヮルテット、ジャパンホルンカルテット/クィンテット、ホルンアンサンブル・ヴィーナス、つの笛集団など、各プロアンサンブルから作・編曲を任されている。

フリオ・デ・カロ

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1899年12月11日 - 1980年5月11日

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アルゼンチン

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フリオ・デ・カロ楽団代表でタンゴの作曲家でありバイオリニストである。 クラシック音楽院の教授の家で生まれ、バイオリンを習得する。1916年に、エドゥアルド・アローラス楽団に入団し、デビューを果たす。その後、オスバルド・フレセド楽団を経て、ファン・カルロス・コビアン楽団に入団する。この楽団のバンドネオン奏者は、有名なペドロ・マフィアである。 1924年に、代表兼ピアニストのファン・カルロス・ゴビアンがニューヨークに移住してしまったファン・カルロス・ゴビアン楽団を引き継ぎメンバーが入れ替わり、フリオ・デ・カロ六重奏団となる。この楽団の貢献は、タンゴで「編曲」を重視し、大胆な編曲によりその楽団の個性を発揮させるという、タンゴ音楽の特性を確立させたこととされている。ペドロ・マフィアは1926年に退団するが、ペドロ・ラウレンスという有名なバンドネオン奏者を揃え、フリオ・デ・カロ楽団は、一斉を風靡する。

アニバル・トロイロ

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1914年7月11日 - 1975年5月18日

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アルゼンチン

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アルゼンチン・タンゴ黄金期、1930年代から活躍した作曲家・バンドネオン奏者。あだ名は、ピチューコ Pichuco、ゴルド Gordo (デブ) アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれる。 10歳のときに最初のバンドネオンを買ってもらい、11歳のときには楽団でバンドネオンを弾くぐらいの才能を示す。オスバルド・プグリエーセ楽団やファン・ダリエンソ楽団などいくつかのタンゴ楽団でバンドネオンを担当し、1937年に自分の楽団を結成する。 アニバル・トロイロの作曲および編曲は、華麗かつ重厚なメロディーとハーモニーを大切にしていることとされている。フアン・デ・ディオス・フィリベルト作曲の 「バンドネオンの嘆き」 でのトロイロ楽団の凝ったバンドネオン変奏が知られており、トロイロ楽団の定番の曲となっている。アニバル・トロイロ自身が1948年に作曲した「スール」や、1956年に作曲した「最後の酔い」は、タンゴファンにも人気がある。また、歌も重視していて、「マリア」 や 「スール」 の歌入りの録音が今でもタンゴ愛好家にかなりの人気がある。 1975年5月18日に死去する。488曲(531曲説もある)を残した。

エミリオ・バルカルセ

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1918年2月22日 - 2011年1月19日

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アルゼンチン

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エミリオ・バルカルセとして知られるエミリオ・フアン・シターノ(ブエノスアイレス、1918年2月22日 - 2011年1月19日)は、アルゼンチンのヴァイオリニスト、バンドネオン奏者、指揮者、編曲家、作曲家。

ロベルト・フィルポ

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1884年5月13日 - 1969年4月14日

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アルゼンチン

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ロベルト・フィルポ(Roberto Firpo, 1884年5月13日 - 1969年4月14日)はタンゴの作曲家、指揮者、演奏者(ピアニスト)として活躍したアルゼンチンの音楽家。

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