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作曲家一覧

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小橋稔

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日本

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小橋 稔(こばし みのる、1928年 - )は日本の作曲家。 東京芸術大学卒で声楽家として活動するが、後に石桁真礼生に師事。1960年代頃から作曲を始め前半は管弦楽で、後半は声楽作品で数々の賞を受ける。その後日本的な舞台作品、70年代は打楽器の作曲の時代に入る。国際現代音楽協会 (ISCM) などでも入選し海外でも演奏されている。代表作は1975年作の打楽器グループのための「阿呟」(あうん)がある。

ハリソン・バートウィッスル

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1934年7月15日 - 2022年4月18日

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イギリス

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イギリスの現代音楽の作曲家。ランカシャーのアクリントン生まれ。ブラス・バンドに親しむが、やがて作曲に転科。アレクサンダー・ゲール、ジョン・オグドン、ピーター・マックスウェル・デイヴィス、エルガー・ハワースとともに「マンチェスター楽派」を結成し、主に音楽劇の分野で頭角を現す。最初の成功作は、オペラ「パンチとジュディー」。器楽や声楽の分野でも職人芸的な技術は冴えており、ロンドン・シンフォニエッタのためにいくつかの室内オーケストラの作品を書き下ろしている。1990年代以降は、世界中に弟子が増えたために、イギリスに留まらない委嘱が舞い込み、国際的に重鎮と称えられるまでになったが、初期から中期の重要作はほとんど音盤化がなされなかったために、作風の全貌が把握されているとは言いがたい作曲家である。

ジョナサン・ハーヴェイ

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1939年5月3日 - 2012年12月4日

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イギリス

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英国の現代音楽の作曲家。 サットン・コールドフィールド出身。ケンブリッジ大学セントジョンズ・カレッジにてエルヴィン・シュタインとハンス・ケラーに師事した後、最終的にPh.D.を取得。初期作品では、シェーンベルクやベルク、ブリテン、メシアンの影響が入り混じっていた。グラスゴー大学大学院に進学後に、BBCスコティッシュ交響楽団にチェリストとして入団した。この頃にはシュトックハウゼンの音楽に興味を持つようになっていた。1969年にハークネス奨学金を得てプリンストン大学に留学し、ミルトン・バビットに出逢って多大な影響を受ける。1980年代には、ブーレーズに招かれ、IRCAMでの創作活動を続けた。

アルフォンス・アッセルマン

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1845年3月5日 - 1912年5月9日

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ベルギー

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ベルギー出身のフランスのハープ奏者・作曲家。ハープ独奏曲を数十曲手懸けたが、なかでも演奏会用練習曲《泉 La Source 》作品44が名高い。ほかに、他者が作曲したハープ以外の楽器のための作品を、ハープ用に編曲している。また、ニコラ=シャルル・ボクサの校訂譜を作成した。パリ音楽院ハープ科の教授を1884年から没年まで務め、20世紀の数々の重要なハープ奏者を育成した。

早川正昭

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1934年1月7日

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日本

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早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - )は、日本の作曲家、指揮者。広島大学名誉教授、新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。 市川市出身。早くから音楽の才能を示し、6歳で最初の曲を書いた。東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を、渡邉暁雄に指揮を学び、1960年に卒業した。1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立し、日本のみならずヨーロッパ各地で公演を行った。1978年にはウィーンとミュンヘンに留学し、バロック音楽を研究した。1979年、東京ヴィヴァルディ合奏団のトップメンバーらとともに新ヴィヴァルディ合奏団を設立。 名古屋音楽大学、広島大学、聖徳大学の教授を歴任。 作品は西洋の楽器や技術を使用しながらも、日本の伝統音楽の影響を受けている。

菅野光亮

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1939年7月10日 - 1983年8月15日

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日本

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菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 1983年8月15日)は日本の作曲家、ジャズピアニスト。宮城県仙台市出身。 国立音楽大学付属高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、長谷川良夫に師事。大学在学中の1966年に、第35回日本音楽コンクール作曲部門第2部(室内楽曲)に応募した「弦楽四重奏曲第3番作品24」が3位入賞を果たす。大学卒業後は主にジャズピアニストとして活躍。

ウィリアム・オルウィン

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1905年11月7日 - 1985年9月11日

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イギリス

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イギリスの作曲家、指揮者、フルート奏者、音楽教育者。 ノーサンプトンシャー州ノーサンプトンに生まれ、幼いころよりピッコロの演奏に興味を示した。15歳で王立音楽アカデミーに入学し、フルートと作曲を学ぶ。フルートの名手で一時はロンドン交響楽団の首席奏者だった。1926年より1955年まで王立音楽アカデミーで作曲の教授を務める。 多才な人物で、音楽家であると同時に言語学者、詩人、美術家でもあった。作風の幅は広く、5つの交響曲と2つのオペラ、様々な協奏曲、弦楽四重奏曲がある。

大谷千正

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1956年8月7日

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日本

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日本の作曲家、音楽学者(ガブリエル・フォーレ研究家)。パリのエコールノルマル音楽院で和声学、対位法、フーガ、作曲を学んだ後、リュエイユ=マルメゾン国立音楽院(現在の同地域圏立音楽院 (fr) )作曲科を一等賞首席で卒業。作曲をトニー・オーバン、音楽学をセルジュ・ギュットに師事した。

オーランド・ギボンズ

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1583年12月25日 - 1625年6月5日

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イギリス

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イングランド・テューダー朝後期からジャコビアン時代にかけて活動した作曲家、オルガニスト。オックスフォード出身。彼は1596年から1598年にかけてイギリスのケンブリッジのキングス・カレッジの聖歌隊に参加しており、このカレッジでは現在も毎年チャペルで彼の命日の典礼を行っている。ギボンズは1606年に学士号を取得した。ジェームズ1世は彼を王家礼拝堂のジェントルマンに指名し、彼はその礼拝堂で少なくとも1615年から亡くなるまでオルガニストを務めた。

トマス・ウィールクス

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1576年10月25日 - 1623年12月1日

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イギリス

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イングランドの作曲家、オルガニスト。1598年にウィンチェスター・カレッジのオルガニストになり、その後チチェスター大聖堂に移る。作品は主に、マドリガル、イングランド国教会で歌われるアンセムやサーヴィスなどの声楽曲である。