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2021/11/19
皆さん、こんにちは。 この記事では、作曲家、ヨハネス・ブラームスさんのインタビューをお届けします。 皆さんはブラームスという作曲家にどんなイメージを持っていますか?なんとなく堅苦しく真面目で、コアなクラシックファン以外の人にはあまり馴染みのない作曲家かもしれません。 今回はご本人に、生い立ちからいろんな作曲家との交流話まで、音楽以外にもたくさんのお話を聞くことができました。この記事を読んで少しでもブラームスさんのことを知って、ぜひたくさん曲を聴いてほしいです。 ぜひ最後までお読みください!
どうも、はじめまして。本日はよろしくお願いします。
私の名前はヨハネス・ブラームス。1835年5月7日、ドイツのハンブルクで生まれたんだ。 私はそれほどお金のない貧しい家庭で育ったんだよ。2つ上に姉のエリーゼがいたんだが、二人とも頭痛持ちで苦労したよ。 子どものころは「鉛の兵隊」のお人形が好きでね、よくひとりで遊んでいたな。 私が生まれた2年後には弟のフリッツが生まれてね。貧しいながらも楽しく暮らしていたよ。 私は子どもの頃から音楽は好きだったんだ。父がよくコントラバスの練習をしていたので、それを見るのが楽しかったな。 コントラバスの音を真似して、一緒に声を出していたよ。その時に父親は私を音楽家にしたいと思ってくれたらしいね。 結構歌っている時の音程が良かったみたい。 やがて私から父に「ピアニストになりたい!」と申し出て、ピアノの先生を見つけてレッスンを受けさせてくれたよ。
実はそのピアノのレッスンを受けはじめた頃から、こっそり作曲もしていたんだ。朝早く起きて、誰にもバレないようにこっそりね。 まだ10歳だったけど、音楽家になるんだ!と強く心に誓っていたね。その時ついていたピアノの先生がコッセル先生とマルクスゼン先生さ。二人は僕の最初の恩師だね。 コッセル先生はしっかり音楽的な演奏ができるよう、私に指先のテクニックだけでなく表現方法なども教えてくれたね。 そのコッセル先生が紹介してくれたのが、マルクスゼン先生さ。コッセル先生の先生だったんだよね。 私はそのマルクスゼン先生について音楽理論など、作曲技法についてしっかり学んだよ。ここでの経験が大きかったね。そこで私は音楽家になるためのスキルをどんどん身につけていったよ。 ただやっぱりお家は貧しかったからね、お金を稼ぐために酒場でピアノ演奏をするようになったよ。そのせいで疲れも溜まって純粋に音楽を楽しむことができなくなってしまったね。 その様子を見た父がピアノレッスンの仕事を見つけてきてくれてね。そこでまた音楽を楽しむことができたよ。
中の人は、アマチュアオーケストラで打楽器をやっています