ログイン/登録
PR
2021/11/19
皆さん、こんにちは。 この記事では、作曲家、アマデウス・モーツァルトさんのインタビュー記事をお届けします。(以下、モーツァルトと記載します。) 皆さんはモーツァルトについてどのようなイメージを持っていますか?「神童」「天才」「落ち着くメロディー」などなんとなくのイメージはできていたとしても、あまりよく知らないという方が多いと思います。 なぜモーツァルトは神童と呼ばれていたのか?どのように作曲をおこなっていたのか?など気になることはたくさんありますよね? そうした疑問を解決すべく、ご本人に生い立ちや作曲のこと、その他ここでしか聞くことができないエピソードなど、たくさんお話を聞いてきました! この記事を読んで少しでもモーツァルトのことを知り、よりモーツァルトに対して親しみを持っていただけると嬉しいです。 ぜひ最後までお読みください!
よろしくね。
子供時代は本当に音楽に囲まれた生活をしていたよ。
そうだね。父親がザルツブルクの宮廷作曲家兼ヴァイオリニストとして働いていたので、音楽に対する知識やスキルは素晴らしいものだった。 父親は早くから僕に音楽の才能があることを見抜き、3歳くらいから音楽教育は始まったんだ。
もちろん、幼少期から始めたので楽しいことやうれしいことはたくさんあったんだけど、つらいこととかもあったんだよ。
6歳からヨーロッパ各地を父親と一緒に演奏旅行して周ることになったんだ。演奏旅行といっても現在のような演奏旅行とは少しテイストが違うのかな? 演奏旅行という名の就職活動といえばわかりやすいだろうか?
そういうことになるね。 シェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの前で演奏した際にのちのマリーアントワネットと出会ったりと旅行を通じて本当にたくさんの人に出会ったし、いろいろなことを学べたけど、いろいろなところへの移動が少し大変だったね。
僕の場合、作曲家を目指していたというよりも自分の頭の中にあるものを演奏していくために楽譜にしていただけだよ。 当時は、今みたいに人の曲をカバー演奏してというよりも演奏家の個性を出していくために作曲ができることは自分をアピールするために必要だったんだ。 当時は自分の主催する演奏会用のピアノコンチェルトの曲をたくさん書いたりしていたね。それ以外にはピアノの小品やソナタ形式の曲なんかも書いていたね。
ピアノコンチェルトやピアノソナタなどを書いている傍ら、オペラの曲も作曲していてね。 たしか25歳の時にブルグ劇場で初演した「フィガロの結婚」が、翌年にプラハで大流行した影響でプラハを訪問したね。
中の人は、アマチュアオーケストラで打楽器をやっています