マウリツィオ・カッツァーティ

死没 1678年09月28日

イタリア

マウリツィオ・カッツアーティ(Maurizio Cazzati、1616年 ルッザーラ - 1678年9月28日 マントヴァ)はイタリアの作曲家である。 1641年フェラーラ、ボッツォロ、ベルガモのそれぞれの教会で楽長としてのスタートを切った。 ベルガモでは、作曲家ジョヴァンニ・レグレンツィと働いている。1657年頃、ボローニャの中のサン・ペトロニオ教会の楽長となる。ここで、以前よりも増して教会音楽の演奏において、楽器(特にヴァイオリン)に重要な価値を見出した。なお、カッツァーティは、当時のボローニャの有力な楽長であったジュリオ・チェーザレ・アレスティとの論争に敗れ、それが原因となり、1671年に当地での楽長の地位を失っている。その後マントヴァ公国の摂政イザベッラ・クララ・ダウストリアの宮廷楽長となった。 教会音楽、器楽作品、オペラの作品をそれぞれ残している。

この作曲家の曲を演奏した過去コンサート

よろこびのおとめよ

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2023年12月21日 () 18:30

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17世紀イタリアで作曲された聖母マリアの2つのアンティフォナと、聖母を讃える詩を歌曲にした様々な作品をご紹介します。

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クラウディオ・モンテヴェルディ 私は野の花、谷間の百合 / マウリツィォ カッツァーティ 救い主イエスの御母よ / ダリオ・カステッロ 4声のためのソナタ

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