作曲家検索
作曲家一覧
1001-1010件 / 1157件中
シモーネ・サルヴェッティ
1870年1月30日 - 1932年12月10日
イタリア
シモーネ・ジローラモ・サルヴェッティはアンドレア Andrea とジュリア・カモジ Giulia Camozzi の息子として1870年1月30日にイタリアのロンバルディア州ブレシア県ブレーノ Breno で生まれ、作曲家・音楽教師、吹奏楽団のマスター、オルガン奏者として才能を発揮した。優れたオルガン奏者としての活動と地元のいくつかの合奏団を指導・指揮する収入で、伝統や習慣にこだわらない自由な生き方はカモニカ渓谷地方(ヴァル・カモニカ Valle Camonica )で知られており、尊敬されていたという。
ゲオルギー・スヴィリードフ
1915年12月16日 - 1998年1月5日
ロシア
ゲオルギー・ヴァシレイヴィッチ・スヴィリードフ(Георгий Васильевич Свиридов、Georgy Vasilyevich Sviridov、1915年12月16日 - 1998年1月5日)は、ソビエト時代のロシア人作曲家。20世紀後半のロシアを代表する作曲家の一人。ロシアの民族的主題に基づく作品(特に声楽曲)を得意とし、現在でも国民的作曲家として人気がある。
イム・セヒョン
大韓民国
イム・セヒョン(林 世賢) は、大韓民国の作曲家。作詞家。2003年にMBCで放送されたテレビドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』で音楽担当となり有名となる。日本では同テレビドラマのエンディングテーマに起用された『オナラ』の作曲家としても知られる。
サルヴァトーレ・ファルボ=ジャングレコ
1872年5月28日 - 1927年4月8日
イタリア
サルヴァトーレ・ファルボ=ジャングレコ(Salvatore Falbo Giangreco, 1872年5月28日 - 1927年4月8日)は、イタリアの作曲家。 シチリア州シラクーザ県アーヴォラ出身。パレルモのベッリーニ音楽院で学び、管弦楽曲、オペレッタ、吹奏楽曲などの作品を作曲した。マンドリンオーケストラ作品も手掛け、たびたびコンクールに入選した。
ジュゼッペ・ブランツォーリ
1909年1月21日
イタリア
ジュゼッペ・ブランツォーリ(Giuseppe Branzoli, 1835年 - 1909年1月21日)は、イタリアのヴァイオリニスト、マンドリン奏者、作曲家。チェント出身。チェントとボローニャでヴァイオリン教師を務めたのち、ローマのアポロ劇場オーケストラの第1ヴァイオリン奏者となり、その他にもローマのマッシモ劇場でも演奏した。息子を亡くしてからは悲しみを乗り越えるためにさらに音楽に没頭し、フィルハーモニック・ソサィティで指揮者と弦楽器の教授を務めた。また聖チェチーリア音楽院の和声学の教授と司書を務めた。
ジュゼッペ・ベルレンギ
1902年10月27日
イタリア
ジュゼッペ・ベルレンギ(Giuseppe Bellenghi, 1847年 - 1902年10月27日)は、イタリアの、チェリスト、マンドリン奏者、作曲家。G.B.ピラーニのペンネームも用いた。ボローニャ出身。フィレンツェでチェリストとしての名声を得、フィレンツェやボローニャで演奏会を開き、劇場では第1奏者となり、また教師も務めた。その頃から上流階級に流行するようになったマンドリンにベルレンギも夢中になり、1880年以降の20年間にマンドリン奏者として演奏会を開いた。
クリストバル・ド・モラレス
1553年10月7日
スペイン
クリストバル・モラーレス(1500年頃 セビリャ - 1553年10月7日 マルチェーナ Marchena)はルネサンスの作曲家。ビクトリア以前のスペインの作曲家では、最も影響力があった。早期教育の段階から古典を含む厳格な学問を叩き込まれるかたわら、当時の第一線の作曲家に薫陶をほどこされた。その後はアビラやプラセンシアに職を得た。1535年までにローマに移り、スペインの声楽家を贔屓にしていたローマ教皇パウルス3世の肝煎りで、教皇庁の聖歌隊で歌手を務めるようになる。 1545年までローマにとどまり、バチカン(ローマ教皇庁)で使用人を務めた。
モーリス・ルルー
1923年2月6日 - 1992年10月19日
フランス
モーリス・ルルー(Maurice Leroux、1923年2月6日 - 1992年10月19日)は、フランスの作曲家、指揮者、テレビドラマ監督。映画音楽ではしばしばモーリス・ル・ルー(Maurice Le Roux)のペンネームを用いたが本名でも活動している。
レイモン・ルフェーヴル
1929年11月20日 - 2008年6月27日
フランス
レイモン・ルフェーヴル(1929年11月20日 - 2008年6月27日)はフランスの編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者。イージーリスニング界の第一人者として有名。特に日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアの「ラブ・サウンドの王様」に対して、「ラブ・サウンドのシャルマン」がキャッチフレーズとして使用された。