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芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
第45回演奏会《賛否両論?!プリングスハイムのオケコン》
2024年12月22日(日) 14:00 開演
http://www.nipponica.jp/index.htm
指揮者: 野平一郎
コダーイ・ゾルターン
管弦楽のための協奏曲
/
大栗裕
管弦楽のための協奏曲
/
三善晃
管弦楽のための協奏曲
/
クラウス・プリングスハイム:
管弦楽のための協奏曲
Z.コダーイ 管弦楽のための協奏曲 (1940)
大栗 裕 管弦楽のための協奏曲(1970)
三善 晃 管弦楽のための協奏曲(1964)
K.プリングスハイム 管弦楽のための協奏曲 (1935)
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コンサートについて
「管弦楽のための協奏曲」ばかり四曲を集めた演奏会。題して、《賛否両論?! プリングスハイムのオケコン》。指揮者は、オーケストラ・ニッポニカのミュージック・アドヴァイザーである野平一郎。
クラウス・プリングスハイムは、ミュンヘン大学で学ぶかたわら、並行して交響詩やピアノ協奏曲などを発表。その後、指揮者を目指して、ウィーンでマーラーの弟子となり、コレペティトールとして修業を始めました。この時に、B.ワルター、O.クレンペラーと知り合います。ブレーメン市立歌劇場総監督を務めた後にベルリンへ移り、指揮者A.ニキシュが亡くなる直前のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に招聘されて、マーラーの交響曲第6番、第9番などを指揮しました。さらに1923年から24年にかけてマーラー・チクルスを指揮します。ちなみにプリングスハイムは、1950年代60年代にもベルリン・フィルに度々招かれて、マーラーや松平賴則、黛敏郎などの作品を指揮しました。
彼は1931年(昭和6年)、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に招聘されて来日します。即刻、日本でもマーラーの連続演奏に意欲を燃やし、1932年に交響曲第5番、33年に第2番、34年に第6番、35年に第3番を指揮して、安部幸明、山田一雄、柴田南雄らに多大な影響を与えました。
プリングスハイムは、日本の作曲家たちを鼓舞するために「管弦楽のための協奏曲」を作曲しました。しかし1935年の初演時に、日本の作曲家や評論家から酷評を浴びます。その後、山田一雄の指揮によって再演されましたが演奏楽譜は行方知れずとなり、忘れられて、50年間眠っていました。
一生涯、「交響曲」の形式を使わなかった三善晃は、日本で最初に「管弦楽のための協奏曲」(1963年)という作品名称を採用した作曲家です。そして1970年、おそらく日本で2番目に同じ名称による作品を書いたのが、「大阪のバルトーク」と呼ばれた大栗裕です。大栗は、指揮者・朝比奈隆のドイツ公演のためにこれを作曲しました。B.バルトークの先輩にあたる作曲家Z.コダーイは、シカゴ交響楽団からの委嘱で「管弦楽のための協奏曲」(1940年)を作曲しました。
プリングスハイムの“オケコン”に対する初演当時の非難は、はたして妥当であったのか? 是非、あなたの耳で確かめて欲しいのです!!
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