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2024年07月21日 10:35

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2023年6月29日 東京サントリーホール
山田和樹指揮、バーミンガム市交響楽団







エルガー:交響曲第1番のジャッジペーパー





Conductor=Very Good=4
Orchestra=Very Good=4
Seat Location=Avarage=3
Audience=Very Good=4
Pablicity=Avarege=3
18点/25点満点中 72%/100





山田和樹のエルガー:交響曲第1番





山田和樹指揮によるエルガー交響曲第1番。
実は私が山田の指揮する同曲を実演で聴くのは3度目になる。
おそらくこのサントリーホールに集まった聴衆の中で彼の指揮する同曲を3度も実演で聴いたのは他にはいないだろう。
一度めが2013年横浜市大オケを指揮した時、二度めが2016年に日フィルを指揮した時。
2013年の時と2016年の時の私が書いたレビューを読み直したところ、今回とほぼ同じ感想を抱いていることを発見した(リンク先で紹介)。2024年現在の「未来人」である我々の目から読んでみると非常に面白い。
それは何を意味するか?おそらく2013年に市大オケを指揮した時点で、彼のこの曲に対するスタンスがほぼ固まっていたのだろうと推測することができよう。
では、項目ごとにジャッジを紐解いていこう。
まずConductorはVeryGoodの4点だ。これだけの演奏回数と2013年から数えてすでに10年以上もこの曲をレパートリーにしているという事実。
これは紛れもなく尾高忠明や大友直人を除けば日本では彼しかない。
2013年に彼の演奏に感動したからこそ私もこうして彼のエルガーを追いかけているわけである。
就任してまだ1年も経たないバーミンガム市響との間にまだ解釈の折り合いがついていない部分もあろう。
あのサイモン・ラトルが育て上げ鍛え上げた英国オケ。彼らを向こうに回してもなお彼独自の解釈を貫いた姿勢は立派である。
2013年の時も2016年の時も今回も全く同じ感想を抱いたのが第3楽章アダージオの素晴らしさだ。
この楽章だけを取り上げたら古今東西の録音や実演を含めてもナンバーワンの可能性すらある。
凄まじく霊感にあふれた表現だ。誰の演奏よりも遅く死にそうなほどに細くそれでいて荘厳の美しさのピアニッシモ。
あんな音を出した演奏者はいない。テンポはシノーポリよりもトムソンよりも遅い。恐ろしいほどに遅い。
管楽器奏者にはおそらく地獄のブレスとなったであろう。
しかし、あの局面はあの表現しかない・・・そう山田の顔に書いてある。
弦楽器がこれでもかとカンタービレを効かせているのに、それでもまだ煽りに煽りまくる山田の棒。
それでも顔を真っ赤にしてついて弦楽器群。すごいものを見てしまった。
第3楽章で火がついたオケは華々しく第4楽章でさらにパッションを昇華させていく。
これでこそ1908年当時のエルガーが持っていた生命力の吐出だ。
1908年のエルガー。そうエルガーが作曲家として最も凄いエネルギーを作品に抽出していた時代だ。
惜しむらくは第1楽章だ。
2013年の時も2016年の時にも感じたもの。出だしのピアニッシモをもっと大事にしてもらいたかった。
あの第3楽章最後の最後で聴かせてくれた、あのピアニッシモのニュアンスが欲しかった。
あれができるのなら最初からやれよ!という気持ち。
だが待てよ。2013年も2016年も今回も同じオープニングの感想・・・ということはここは一貫した指揮者の解釈・・・だとしたらそこは口をはさむことはできない。
そこはもはや好みの問題ということになってしまう。
ただ・・・・、ノビルメンテの表記の部分は実に立派だ。しかし、アレグロヴィヴァーチェに移ったところでノビルメンテをやや引っ張ってしまった感がある。
あそこは様相を切り替えてメリハリをつけて欲しい。なにかモッタリした印象になってしまった。
ちょうどハイティンクがこんな感じの演奏をしていた。
ああならないためにはヴィヴァーチェに移った時点でテンポを上げて音の粒感を際立たせるなどの回避法があるのだが・・・・。
なぜああなったのかはよくわからない。そういう解釈なのか?まだオケと解釈の折り合いがついていないのか。
アンサンブルがやや曇った感じになってしまったのだ。
今回、これだけの演奏を成し遂げているの山田なので文句のつけようがないところであるが、一点少し気の毒なことがある。
それは彼の演奏から3日後に東京オペラシティで尾高忠明がエルガー1番を指揮する。
いやでもこれと比較されるからだ。

ジャッジを続けよう。
OrchestraはVGの4点。実績に関しては文句あるまい。この楽団がこの曲を演奏した回数などおそらく3桁は超えることだろう。
ラトルが鍛えた音色。英国独特の中音をベースにした全体の音の組み立て方。
エイドリアン・ボールトが言っていた。「英国のオケは指揮者がどうこう言わずとも、エルガーの作品がよくできているから自由に彼らにやらせればOK」。
まさにそれを感じさせる安定感。それだけに指揮者との最終的に擦り合わせにもう少し時間が必要だったかな?と感じさせたのが5点ではない理由。
Seat locationはAの3点。席はステージ右側のほぼ真横。悪くもないしベストではないにしても全体を見渡すには支障のないエリアなので影響なし。
AudienceもVGの4点。サントリーホールのお客さんだけに信頼して大丈夫だろうとは思っていた。この日集まったお客さんの目的は何だったのか?
演奏前のプレトークで山田和樹が会場のお客さんに「この中でエルガーの交響曲第1番の実演を聴いたことある人は手を挙げてみてください」と挙手を促した。
見たところ一割もいなかったかな?という印象。すなわちほとんどこの曲にそれほど馴染みがあるわけではないオーディエンスからあれだけの感動を引き出して見せたのだから本物だ。
PablictyはAの3点。可もなく不可もなく。ミステークもないし詳しい解説もなくサラっとしたもの。安全運転であるが、やや物足りないかな。
プレイヤーがあれだけのパッションを爆発させているのと対照的にやけにベンチはクールだなという印象。
いずれにせよ7月2日の尾高忠明の演奏と勝負することになる。これは凄い勝負になること間違いない。

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2024年07月21日 10:30

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ジャッジペーパー
Conductor EXcellent 5
Orchestra VG 4
Seat location 4
Audience 4
Pablicity 3
20点/25満点中
80%/100







御大降臨!としか言いようがない。
贔屓ではなく純粋に言って世界一のエルガーだと思う。
尾高のエルガー1番を初めて聴いたのが1995年のBBCウェールズ響の来日公演。
今と比べたらエルガーという作曲家の存在はもっとマイナーだった。
それでも、あのサントリーホールでの大熱狂ぶり。あんなの見たことがなかった。
以来、尾高は在京のオケから札響や大フィル、京都市響、神奈フィルなどの地方オケでもエルガーの1番を振っている。
もちろん、こんなこと出来たのは尾高だけである。
95年のBBCウエールズ以来、可能な限り尾高のエルガーの実演には足を運ぶようにしている。
そのほとんど全てが極めて高い水準のレベルで、凄まじい共感度にあふれている。
また、彼の人柄がエルガーのパーソナリティにマッチするからこその名演の成立だろう。
こういうアプローチをする指揮者って実はあまりいない。
いつだったか忘れたが、尾高のエルガー作品の終演後にいつまでも拍手が鳴りやまなかった。
おそらく30分くらい続いていた。
すると、マエストロ尾高がなんとパジャマ姿でステージに現れた。
「いやあ、もうエルガーを演奏してもう燃え尽きてクタクタで、ホテルの部屋に戻ってもう寝ようとしてんだけど。マネージャーが来て、お客さんが帰らないから尾高さんもう一回ステージ戻ってくださいよって。
だって、もう僕パジャマに着替えちゃったのに、それでもいいから来てくれって言われて戻ったのよ」
と後に語っていた。
しかし、衣装ではなくガチの寝巻姿でサントリーホールのステージに立ってのは古今東西広しといえでもこの人くらいなものだろう。
そんなお茶目の一面も尾高の魅力でもある。
そんな尾高の織り成すエルガー像はまさに等身大の作曲家エルガーの姿そのものだ。
ではジャッジ項目を見ていこう。
Conductor=Excellent=5
最高点のExcellent。これはもう仕方あるまい。これまでの実績。そして今日この日の出来栄え。これ以外付けようがないではないか。
本当に演奏直後疲労困憊していたのはいつものことだが、今日は度重なるカーテンコールに応えるのもムリ!という感じでコンサートマスターの手を引いて引っ込んでしまった。
それほどの燃焼度だった。
解釈は昔から一貫したものではあるが、本人に言わせると昔ほど情に流されることはなくなったと言っていた。
それだけにリーダーシップを発揮して要所要所での手綱さばきは流石である。
Orchestra=Very Good=4
先日の山田和樹の指揮したバーミンガム市響に比べたら機動力でやや劣るかな?とも思われたが、そんなことはなく一歩も引けを取らなかった。
オープニングでのモットー主題を繰り返す時に尾高の指示を待たずにフライング気味に飛び出したように見えたところに、曲自体と尾高の解釈に慣れていないところがあるのだろう。
それも時間と回数が解決してくれるはずだ。
全体的なパワーバランスでもバーミンガム市響と比べても遜色ないものだ。
それにしても最近の日本のオケの力量の向上ぶりは本当に凄い。
Seat Location=No Good=4。
3階のステージ右側。バルコニー壁によってステージが半分見えない席。東京オペラシティにはこのように信じられないひどい席がある。
見づらいというハンディキャップがあるので加点要素を加えて4点とする。
こちらから見ると手前になるトランペット、トロンボーン、ヴィオラ、チェロが見えないというのはかなりフラストレーションではあったが、音的にそれほど聴こえないということはなかった。
Audience=Very Good=4
残念なことに客席の埋まり具合は5割から6割。
オケの知名度と英国音楽という比較的マイナーなプログラムに集客の苦労が伺えた。
しかしお客さんの質は申し分ないもので、明らかに尾高ファン、エルガーファン、英国音楽ファンと思わしき聴衆の存在が伺えた。
素直に名演奏に対してのリアクションは好感の持てるものであった。
Pablicity=Avarage=3
プログラム解説はやはり可もなく不可もなく当たり障りのない内容であった。
エルガーの解説の中で一か所だけ「その記述の出どころはどこ?」と書いたライターさんに聞きたい部分があったが、大した内容ではないのでマイナス要素にはしないことにする。
総合的に見て、先日の2番といい、やはり御大が出てくるとまるで水戸黄門が印籠をかざすがごとくすべてを一掃してしまう印象がある。
前に書いたが尾高という指揮者は不思議なことに録音とか録画には、なぜか入りきらない凄さがある。
なので尾高の場合は実演に接しないと本質を見極めることができないのである。
それが大友直人などの演奏と比べると、少し地味なイメージを持たれている原因なのかな?とも推測する。
地味ではないが、誠実かつ心で作曲者と繋がろうとして、その解釈を心で表現する指揮者といえばいいだろう。
しかし、尾高の演奏は味わえば味わうほどドンドンと濃厚な味わいが出で来るのである。
だからこそ彼の演奏は実演で味わってほしい。

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2024年07月21日 10:25

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「神はやはり降臨した」
「ボトルネックと思われたものが実は必殺兵器だった」
「奇跡は起こるべくして起きた」
「この年のエルガーラッシュのトドメの一撃炸裂!」
今回の演奏をスポーツ新聞の見出し風にキャッチフレーズをつけるとしたら、思い浮かんだのが上記のようなコピーだ。
もうこれらのコピーだけで全てを物語っている。
今のジョナサン・ノットをすれば奇跡が起こることは十分考えられた。
ちょうど5年前の「ゲロンティアスの夢」の神のようは演奏の再現のようであった。
ジャッジ項目を一つづつ検証したい。
Conductor=Excellent=5
ノットのエルガーは今や世界最高峰のクオリティに達しつつあるといえるだろう。
5年前の「ゲロンティアス」。
あの時、ほぼ全てのレビュー(プロアマ問わず)が「ゲロンティアス」に関してこうコメントしていた。
曰く「ワーグナーのトリスタンとイゾルデを思わせるオーケストレーション」だの「パルシファルの影響を受けた音色」
口々にワーグナー的オーケストレーションの影響うんぬん・・・ばかり。
その昔、どこかのライターさんがそう書いたのだろう。
それを孫引きした多くのライターや演奏家や、ブロガーが続いたものだからああいうことになったのだろう。
確かに、エルガー作品におけるワーグナー的オーケストレーションの影響は事実である。
しかし、それってコース料理でいえば前菜でしかない。
なぜだれもメインディッシュの話をしない?なぜ前菜だけの話で終わる?
要するに日本におけるエルガーの需要度はそんなレベルだということだ。
そんな中で唯一ジョナサン・ノットだけは違った。
「オーケストラは神を表現しています」
この発言を聞いたからこそ彼が本物のエルガーインタープリターであることを確信した。
エルガーがゲロンティアスに込めた核心的動機。
それは彼の信仰心の総決算であるから。
あの作品は「儀式」なのであるから。
そこに気付いているからこそ、あの儀式的な名演を実現することができたのだ。
「わかっている人」と「わかっていない人」の差はそういう発言として表れてくる。
このヴァイオリン協奏曲にも同じようなことがいえる。
エルガーが作品に込めた核心的動機に気付いて寄り添っているか、いないか。
この差はとてつもなく大きい。
この協奏曲は別名をつけるとしたら「ウィンドフラワー協奏曲」だ。
最初から最後までそこかしかにウィンドフラワーことアリス・スチュワート・ワートリーが現れる。
この頃のエルガーの作品生成の最大の原動力。
そして、複雑で狂おしいほどの愛情と情熱。
この感情をこれでもかこれでもか!と音に込めた作曲家。
かのメニューインが言っていた。
「あの第二主題が愛情表現であることを、若すぎた当時の私は理解していなかった。しかし、それを理解した今だからこそあれよりももっと良い演奏ができると思う」
この愛情表現をノットのアプローチはピアニッシモとして表現し、それを武器にしたこと。
そしてそれをソリストとオケにも徹底していたこと。
これでベクトルが完璧に同じ方向に向く結果になった。
正に幸福な出会いの瞬間だ。
最近聴いた同曲の実演を振った指揮者である高関健、沖澤のどか。
比較するのは失礼かと思うが、現時点でのジョナサン・ノットと比較されたのでは勝負にならない・・・・。
Solist=Very Very Good=4.5
「ボトルネックと思われたものが実は必殺兵器だった」
「奇跡は起こるべくして起きた」
この2つのキャッチコピーは神尾真由子のことを言っている。
もともとこの国では極端に演奏頻度が低いエルガーのヴァイオリン協奏曲。
それでなくとも神尾にとっては初めての取り組み。
キャリアを見ても英国音楽やエルガーへの特別なシンパシーがあるような痕跡もない。
多くの場合、あまりよい結果にならないという事例をいやというほど見てきた。
だから「ボトルネック」と表現とした。
指揮者とオケがエルガーのスペシャリストだが、ソリストはフタを開けて見なけらばわからない状況。
期待半分不安半分の中での演奏だったわけだ。
最初の出だし。
9番、フォルテの指定と書かれたC。
フォルテの文字を真に受けてここを強めに出る演奏の多いことか。
アウト!である。
このフォルテは「強く」とか「音量大き目」ではない。
その上に書かれたmolto largamente nobilmenteの方が遥かに重要視される。
この場合の「フォルテ」は「強く」ではなく「豊かに」とか「温かく」といった方が相応しいだろう。
なおかつ高貴にnobilmenteである。
nobilmenteが優先できないのなら、ディナーミックを一段落とす方がよいくらいだ。
神尾の一音はまさにこれだった。
羽毛で撫で上げるような優しさでいて、温かく豊かな音色。
これ、誰かに似ていると思った。
ヒラリー・ハーンである。
正にハーンの場合も今回の神尾のケースと似たところがある。
すなわちハーンもまた特別にエルガーとのシンパシーがあるような痕跡がキャリアに見当たらない。
にもかかわらず、あの超名演である。
だから「奇跡」という言葉をキャッチに思い浮かんだ。
楽章が進んでも神尾のこの表現は一歩たりとも緩むことはなかった。
本当にヤバいものに立ち会ってしまった。
先日聴いた三浦も竹澤も決して悪くないのだが、やはり今回は比較されるには相手が悪かったとしか言いようがない。
Orchestra=Excellent=5
エルガー作品の演奏回数の経験値日本一の東響。
今回も安定の安心感。
久々に見せた両翼配置。
ここに今回の演奏にかける指揮者、オーケストラの本気を見た思いだ。この時代の作曲家ブラームスもエルガーもこの配置しか知らないわけで、この配置を想定して作曲をしている。
木管やヴィオラ、チェロなどの中間音色を中心に外枠を組み立てる音色。
ノットの棒に導かれるピアニッシモの死にそうなほどの美しさ。
最高の仕事を成し遂げてくれた。
Seat Location=Avarage=3
Pablicity=Avarage=3
この2項目に関してはジャッジに影響することないものだった。
つまり他責要素である。
自責要素だけ見ればほぼ満点という空前絶後の演奏評であったことがわかるだろう。
だから
「この年のエルガーラッシュのトドメの一撃炸裂!」
なのだ。
この日本でこの曲の決定版的名演奏が出るなら、尾高忠明、加藤知子、札幌交響楽団の組み合わせだろうと予想していた。
実際、尾高もこの組み合わせでの同曲の演奏実現を希望していた。結果的にこれが叶わなかったが、これに匹敵するくらいの名演の誕生を素直に喜びたい。

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