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イタリアがつなぐ縁——イタリア文化普及に尽力するテノール歌手・三浦幸未知マリオさん

2024/09/25

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三浦幸未知マリオさんはイタリアオペラやカンツォーネを歌うテノール歌手。留学をきっかけにイタリア文化にすっかり魅了され、その普及のためにさまざまなジャンルとのコラボレーションを行っています。本インタビューでは、イタリアへの愛と情熱、そして現在の活動の指針となったイタリアで受けたカルチャーショックについてお話を伺いました。

三浦幸未知マリオ
武蔵野音楽大学卒業。イタリア留学後、イタリアオペラ作曲家プッチーニ生誕150年記念公演でオペラ《ラ・ボエーム》ハイライトのパルピニョール役でオペラデビュー。その後、多数のオペラ公演や、コンサートやイベントなどに出演。イタリアと日本との文化交流に力を注ぎ、ローマの教会で2回のリサイタルを開催するほか、ヴァチカン日本大使夫人主催のチャリティーバザーで歌を披露するなど日伊文化交流に貢献している。

——お名前がとてもユニークですが、由来を教えていただけますか?

三浦「マリオ」はイタリア留学中についたニックネームです。語学学校で「オペラの勉強をするために来た」と自己紹介したところ、先生が「私、オペラ好きよ!」と、プッチーニの歌劇《トスカ》第1幕愛の二重唱の一節から「マリオ! マリオ!」と歌い出したんです。そこで僕が続けてトスカの恋人役マリオ・カヴァラドッシのパートを歌ったらすごく盛り上がって、「あなたはマリオね!」ということになりました(笑)。

そこでみんなからマリオと呼ばれるようになり、帰国後もインパクトがあるので、マリオを名乗っています。

——イメージ通りのイタリアを感じさせるエピソードですね。

三浦日本との違いはこういうところにあるのだと、イタリアは面白い国だなと感じたのが留学の始まりでした。

2006年3月にイタリア留学を終え、同年の夏にローマ近郊の教会にてモーツァルト「戴冠式ミサ曲」でソリストを務めた

——留学されたのは音楽大学をご卒業された直後だったのでしょうか?

三浦いいえ、卒業して一時期、音楽から離れた時期がありました。卒業演奏会のときに大きな失敗をしてしまい、3年ほどオペラ団体の職員として働きました。大学時代から付き合ってきた方と結婚する話もあったのですがたち消えてしまい、改めて僕はどう生きるべきか考えたときに、やはり歌うことなしに人生を考えられないと思い至ったのです。

働きながら練習を続けるなかで、親しくなったあるコレペティトールの方との縁が、僕をイタリア留学まで導いてくださいました。

2019年、紀尾井ホールにてヴェルディ作曲オペラ《アッティラ》公演のカーテンコール

——イタリアでご経験されたことのなかで印象深かったことはなんですか?

三浦日本の音楽業界では、どうしても学歴や経歴が重視されます。それが窮屈で、日本は自分の音楽を素直に表現できないのではないかと感じていました。一方、イタリアでは仲間同士のつながりが強く、学歴や経歴関係なく、人種や国籍を超えて、「やりたい!」という気持ちが合致すれば「じゃあやってみよう!」となります。

そのため、小さな会場ではありますが、仲間同士で開催する演奏会がいたるところにありました。それがとても新鮮で、僕もこんなふうに音楽活動を続けていきたいと思うようになりました。

——それが今につながるのですね。現在のご活動について教えてください。

三浦イタリア文化を日本で普及させる活動をしています。ペルージャ外国人大学には世界中からさまざまな人たちが集まってきていて、僕のような音楽留学の人もいれば、語学を極めたり、イタリア美術を学びたいという人たちから、料理人やサッカー選手になることを目指している方たちまでいました。

「イタリア」という国や文化を通じてさまざまなジャンルの知り合いができたのです。この縁をずっと大切にするために、また、仲間同士での演奏会が盛んなイタリアスタイルを取り入れて、イタリアをテーマにしたコンサートやイベントを企画しています。例えば、今年の7月にはイタリア好きな画家さんと一緒に、その方が描いたイタリアの絵画の前で僕が歌い、お客さまにイタリアの雰囲気を楽しんでいただくという催しをしました。

他にもイタリア人の友人を招き、イタリア語の朗読付きの演奏会をしたり、イタリア料理店と懇意にさせていただいて、定期的に歌わせてもらったりと、イタリアに関連したさまざまな催し物を企画運営しり、出演のお話をいただいたりしています。

2020年、イタリア車マセラティショールームイベント

——文化の豊かなイタリアだからこそできることですね。

三浦イタリアは階級社会だったり、経済的に恵まれていないという一面がある一方で、心の豊かさがある国だと思います。だからこそオペラやピアノ、さまざまな文化が誕生したのです。僕はそんなイタリアの文化を、日本の皆さんにもっと知っていただきたいと思っています。そのために僕ができることが音楽であり、歌うことなのです。

——今後はどのような活動を予定されていますか?

三浦小豆島を拠点に活動したいと思っています。昨年6月に留学時代の友人のつてで、小豆島を訪れたところ、すっかり気に入ってしまったので、今年9月に移住しました。青い海に囲まれ、オリーブ畑が広がる小豆島は、イタリアのサルデーニャ島を思わせる美しさがあるんです。国の重要文化財に指定されている農村歌舞伎の舞台が二つあり、人々の憩いの場として毎年、町民の人たちで演目が上演されています。まさにイタリアの野外劇場(テアトロ・ロマーノ)そのものです。

知り合いになったオリーブ農家さんがオリーブオイルと地鶏と小豆島の醤油、香川の白味噌を使った揚げ鶏のキッチンカー事業を立ち上げようとしているので、僕はオペラを歌う販売者として参入しようと考えています。

——人とイタリアが縁で、新たな道が広がっていきますね。

三浦イタリアつながりの縁はもちろんですが、僕はこれまでに音楽家以外の方々との新鮮で刺激的な素敵な縁に恵まれてきました。これからもイタリアを通じて、音楽を通じて人とつながり、そのご縁のなかで歌っていきたいです。そして日本におけるイタリアを盛り上げていきたいと思っています。

(インタビュー・構成/東ゆか)

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