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2025/03/09
髄膜炎、適応障害、留年――。若きピアニスト山脇美葉は、わずか3年の間に人生の大きな苦難に直面しました。「もうピアノは弾けない」と思った時期も。しかし、音楽への情熱と負けず嫌いな性格が彼女を立ち上がらせました。 2025年3月29日、浦安音楽ホールで開催される初のピアノリサイタルは、彼女にとって単なる演奏会ではなく、困難を乗り越えた証でもあります。「心を動かす演奏」を理想とする山脇さんは、辛い経験を経てより深みを増した表現力で聴衆の心に語りかけます。 「どんなに辛いことがあっても、音楽の力で頑張れる」――そんなメッセージを込めた彼女の演奏に耳を傾けてみませんか。
——まずは、山脇さんがピアノを始められたきっかけを教えてください。
山脇ピアノを始めたのは6歳頃、幼稚園の年長さんの時です。最初は特に自分の意思というわけではなく、両親が妹と一緒に習わせてくれたのがきっかけです。
——ご両親がきっかけだったんですね。後に自分の意思でピアノを極めようと思ったきっかけはありますか。
山脇きっかけは中学1年生の時にありました。個人のピアノ教室に通っていたのですが、そこの先生が「ピアノの道に進んでみないか」とお話ししてくださったんです。 実は、最初はピアノをあまり好きではなかったのですが、年長から習い始めて中学1年生までの間に好きになり、楽しいと思うようになっていました。先生がそれに気づき、「音楽の道に進まないか」と言ってくださったので、もっと極めたいと思いました。
——ピアニストや音楽家という職業を意識したのはいつ頃でしたか。
山脇漠然とピアノに携わる仕事はしたいなとずっと思っていましたが、正直なところ大学在学中はあまり意識していませんでした。現在修士1年なのですが、そもそも大学院に進学する予定もなかったんです。でも、大学3年生の時に師事した恩師に「あなたはすごく楽しそうにピアノを弾くから、もっと極めてほしい。大学院への進学は考えていないの?」と言われたことがきっかけで、進学を意識しました。 それまでは大学で優秀な方々をたくさん見てきて「私が大学院なんて…」と思っていたのですが、先生がそう言ってくださったことで「頑張れるかな」と思ったんです。演奏家として活動していくという可能性も、その頃から考え始めました。
——ご両親や恩師など、周りの方がきっかけになることが多かったんですね。山脇さんは、これまでの音楽人生で大変なご経験をされたんですよね。そのことについてもお聞かせいただけますか。
山脇年長からピアノを始めて、ずっとピアノ一筋の人生でしたが、ある時突然髄膜炎になってしばらくピアノが弾けないという状況になってしまったんです。ピアノや音楽以外に熱中するものや特技、趣味があまりなくて、その時初めて「こんな人生つまらない」とまで感じました。 今まで健康で、心身ともに崩すということがあまりなかったのですが、初めて頭の病気をした時に、ピアノが弾けないとこんなに辛いのかと思いました。そして、改めてピアノを弾くことが生きがいだと実感しました。
——とても辛いご経験でしたね。音楽を再開する時、リハビリのような段階でどのような苦労がありましたか?
山脇最初は何週間も何ヶ月もピアノが弾けていなかったので、感覚を取り戻すのが大変でした。髄膜炎にかかったのは大学4年生で、大学院の入試を控えていた時でした。退院した後すぐに帰って、その日のうちにピアノの前に座ったのですが、全然弾けなくて…。 退院1週間後に学内のオーディションを控えていたのですが、先生からは「出ない方がいい」と言われました。しかし、半ば無理やり「出させてください」とお願いして出たところ、やはり本領は発揮できませんでした。病気のせいにはしたくなかったのですが、ブランクがあるといつもの演奏に戻るのは大変だと痛感しました。 その年のオーディションは初めて落ちてしまい、少し気持ちが折れてしまいました。
——これまでの努力してきたからこその辛さですね。その後もさらに困難な時期があったと聞いています。
山脇髄膜炎から1年4ヶ月ほど経った頃に適応障害になりました。食事も入浴も外出もできない状態になり、日常生活の基本的なことが何もできなくなってしまいました。その間に留年も挟んでしまって…。 髄膜炎になった後、大学院を受験して合格したものの、病気が原因で留年が決まり、もう一度大学院を受け直しましたが、入学できることになった時に適応障害になってしまったんです。髄膜炎から適応障害、そして今に至るまで約3年の期間がありました。
——そんな困難な時期に、心に残る言葉や支えになったエピソードはありますか。
山脇オーディションに初めて落ちてしまい自信がなくなりかけていた時に、当時の先生が「人生まだまだ長い」とおっしゃってくださったんです。 「私からしたらあなたはまだまだ若く、音楽家としてもこれからなのに。こんな長い人生で、数ヶ月病気にかかってブランクがあって落ちちゃったなんて、本当にどうでもいいぐらい小さいこと」と笑い飛ばして言ってくださったのが、すごく救われました。 また、元々負けず嫌いなところもあって、ここで折れたまま人生を終えるのは嫌だと思い、また頑張ろうという気になれました。
——素敵な先生方に恵まれましたね。そんなご経験をされた山脇さんだからこその演奏の強みやスタイルについて教えてください。
山脇雰囲気で言うと、激しくてかっこいい曲よりも、情緒的でセンチメンタルな雰囲気の曲を表現するのが得意かつ自分の好みでもあります。悲しさ、怒り、辛さなど、そういった感情を表現する演奏スタイルが多いです。 元々、感情表現が豊かなタイプで、性格も情緒が激しいので、音楽にもそういう部分が出ていたのですが、辛い経験をしてからはさらに表現が深まったように思います。
——特に好きな曲や得意としている楽曲はありますか?
山脇たまたまなのですが、ベートーヴェンの『月光ソナタ』やドビュッシーの『月の光』など、月に関連する曲が好きです。ちなみに、次のリサイタルでもドビュッシーの『月の光』を演奏する予定です。
——3月のリサイタルの曲目はどのように決められたのですか。
山脇美葉 ピアノリサイタル
日時:2025年3月29日(土) 19:00開演
場所:J:COM 浦安音楽ホール ハーモニーホール(千葉県)
詳細 : https://www.concertsquare.jp/blog/2025/2024112213.html
ビュッシーの「月の光」、シューマンの「幻想小曲集」、ヘンデルの「クラヴィーア組曲」ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」など、日本人にも馴染み深い名曲の数々をお届けします。 チケット 一般:3,000円 学生:1,500円(全席指定) 本公演は、音響の優れた浦安音楽ホール内のハーモニーホールで開催されます。ピアノの繊細な響きと豊かな音の広がりが際立つ空間で、心を揺さぶる演奏をお楽しみください。
山脇現在大学院で師事している先生と一緒に相談して決めました。先生が多くの曲を提案してくださり、私も『月の光』や『アラベスク』など弾きたい曲をお伝えしました。他にも大学院の入試で弾いた曲や演奏会で弾いた曲、初めて弾く曲なども混ぜて、色々な時代や雰囲気の曲をうまく組み合わせて決めました。 特定のテーマがあるわけではなく、曲も雰囲気もバラバラなのですが、自分が色々経験してきたことを音で表現できたらと考えています。
——これまでの山脇さんの人生が詰まったリサイタルになりそうで楽しみですね!リサイタルを聴きに来る方に、どのような体験をしてもらいたいですか。
山脇聴いてくださる方の心を動かしたいと思っています。昔から技術的に優れた演奏よりも、人として心を動かされる演奏が好きでした。「上手だね」「すごいね」と言われるより、「心を動かされた」「感動した」と言われる方が嬉しいです。 これまで私も色々なピアニストの方の演奏を聴きに行ったことがありますが、特に印象に残っているのは辻井伸行さんの演奏会です。演奏を聴いていて気づいたら涙が流れていて、「これが心を動かされるということなんだ」と、とても感動した記憶があります。 私もそんな風に、皆さんの心を動かし、支えとなるような演奏ができればと思っています。
——今後の展望や目標はありますか。
山脇まだ無名なので、これから大学院を卒業して、もっと多くの人に演奏を聴いてもらえるように頑張りたいです。3月以降の具体的なリサイタルの計画はまだないのですが、「心を動かす演奏をするピアニスト」になりたいという夢をこれからも追い続けていきます。
——最後に、初リサイタルに向けての意気込みやコンサートスクウェアの読者の方に向けたメッセージをお願いします。
山脇これまでの経験すべてを音楽に込めて、聴いてくださる方々の心に届く演奏をしたいと思います。技術的な完璧さよりも、心のこもった音楽を大切にしたいです。辛い時期に私自身も音楽に救われたように、私の演奏が誰かの心に寄り添えたら、これ以上の喜びはありません。ぜひ会場に足を運んでいただければ嬉しいです。
——本日はありがとうございました。困難を乗り越えた山脇さんの音楽家人生をこれからも陰ながら応援させていただきます!
(インタビュー・構成/松永華佳)
【noteの記事】病や挫折を乗り越え、このコンサートに賭ける思いを綴られています
中の人は、アマチュアオーケストラで打楽器をやっています